最新記事

芸術

宇宙的スケールの造形世界

2016年1月4日(月)08時05分
高階秀爾(大原美術館館長、西洋美術振興財団理事長) ※アステイオン83より転載

宇宙的とも言える構想の壮大さ 独創的な「火薬絵画」や「火薬パフォーマンス」によって広く知られる蔡國強(2003年にロンドンのテート・モダンで行われた『葉公好――テート・モダンのための爆発プロジェクト』より)  Kieran Doherty-REUTERS

 遠く太平洋を望む横浜市みなとみらいの横浜美術館で、中国出身のアーティスト蔡國強(ツアイ・グオチヤン)の個展「帰去来」が開かれた。

 蔡國強は、何よりもその独創的な「火薬絵画」によって、国際的にも広く知られている。「火薬絵画」とは、文字通り、絵の具の代りに火薬によって描かれた作品のことをいう。床の上に拡げた紙の上に火薬を撒き、爆発させると、その痕跡が玄妙不可思議な造形世界を浮かび上らせる。もちろん、当初火薬を撒く時に、全体の図柄を想定し、予じめ用意した下絵に沿って火薬を置いてゆくのだが、火力の強さや燃焼時間によって微妙な差異が生じるので、最終結果は必ずしも予測し難い。その点では、同じく火による造形である焼物の場合とよく似ていると言えるかもしれない。

 火薬の利用はそれだけにとどまらない。もともと火薬は遠く古代中国において発明され、長い歴史のあいだ、破壊の手段や戦争の武器として用いられて来た。十三世紀末の「蒙古襲来絵詞」には、日本の武士たちを悩ませた元軍の鉄砲が描き出されている。しかしそれと同時に、爆竹や花火など、祭礼や年中行事に欠かせない景物として、現在も広く用いられている。この伝統を踏まえて、二〇〇八年の北京オリンピック・パラリンピック開会式に、蔡國強が特別アート・ディレクターとして光と音の壮麗なスペクタクルを実現して見せたことは、多くの人々の記憶にとどめられているだろう。

 一九五七年、中国福建省泉州市に生まれた蔡は、早くから火薬を造形表現に利用することを試みていたが、火薬作品をまとまった展覧会として発表したのは、一九八六年の来日後のことである。一九九一年、東京で開かれた個展「原初火球――さまざまのプロジェクトのためのプロジェクト」は、屏風状に折り曲げた火薬ドローイング七点を画廊内部に放射状に配置した展示で、それ自体強い衝撃力を持つものであったが、個々の作品は、展覧会題名にも明示されている通り、火薬を用いたプロジェクトのための企画案なのである。火薬をその本来の姿で表現媒体として使うとするならば、爆発の痕跡ではなく、爆発そのもの、つまり火の作用を演出して見せなくてはならない。それは必然的に、一種のパフォーマンスとならざるを得ない。

 実際、蔡國強は、展覧会に先立って、東京・多摩川の川辺で「人類の家:外星人のためのプロジェクトNo.1」を実現している。これは、さまざまの動物の毛や羽を貼りつけた帆布と、木の枝、縄で作ったテント(人類の家)を火薬で爆発させたものである。後に蔡自身このプロジェクトについて、爆発は「戦争、あるいは人類によるこの星の生態系や自然環境に対する破壊を暗示し(......)、爆発が生むエネルギーには、人類の生命の起源であるビッグ・バンや、世代の永続性を象徴させた」と語っている。つまり爆発は、破壊、消滅をもたらすと同時に、そのエネルギーによって新しい生命を生じさせ、世代を越えてその継続性を保証するものである。そこには、火は土を生じさせ、土は金を、金は水を、水は木を、そして木はまた火を生じさせるという東洋古来の五行相生の思想の反映を読み取ることも可能であるかもしれない。もともと蔡國強は風水や五行思想に強い関心を持ち、火薬作品を実現するにあたってもしばしば専門の風水師の助言を得ている。(北京オリンピックの際にも、メインの競技場である北京国家体育館(通称「鳥の巣」)から見て「木」の方角にあたる東北部が「最も良い」という風水師の託宣にしたがって聖火台の位置を決めたという)。その結果、爆発は、破壊と生成、死と再生を繰り返す大いなる自然の循環のなかに位置づけられる。人類の生命もまた、その自然の一部である。この循環する自然を時間を遡ってもとを尋ねて行けば、それは人類の登場や地球の誕生をもはるかに超えて、遠く宇宙のはじまりである「ビッグ・バン」にまでいたる。東京での蔡の個展が「原初火球」すなわち「ビッグ・バン」と題されていたのは、そのためである。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

BMW、第2四半期販売は小幅増 中国不振を欧州がカ

ワールド

ロシアに関する重要声明、14日に発表とトランプ米大

ワールド

ルビオ長官、11日にマレーシアで中国外相と会談へ 

ワールド

UAE、産油能力を一段と拡大する可能性も=エネルギ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 3
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 6
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 7
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 8
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 9
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 10
    ハメネイの側近がトランプ「暗殺」の脅迫?「別荘で…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中