グーグルが甦らせるナチスの「悪夢」
常に監視されていた時代の記憶を呼び起こす「ストリートビュー」サービスの年内開始に広がる波紋

外観は序の口? 目を引くストリートビューの撮影車(3月、独ハノーバーの国際見本市で) Sean Gallup/Getty Images
自分たちの一挙手一投足を、この建物のどこかで誰かが1つ残らずメモしている──。ドイツのマンションの住民がそんな不安に怯えていたのは、それほど大昔のことではない。たとえ持ち家であっても、政府のスパイが会話を盗聴しているのではないか、という不安は拭い切れなかった。
「法律が守られるように目を光らせていたんだ」と、ヨプスト・クラウゼ(67)はナチス時代の監視体制について振り返った。
クラウゼ自身は年齢からいって、ナチス時代の監視が最もひどかった時期は経験していない。旧東ドイツの秘密警察シュタージが市民の言動に目を光らせていた時代には、西ドイツで暮らしていた。それでも8月、地図情報サービス「ストリートビュー」を年内にドイツで開始するとグーグルが発表すると、多くのドイツ人が感じた不安はクラウゼにも理解できる。
グーグルは08年、カメラを積んだ撮影用車両をドイツの20の主要都市に送り込み始めた。ストリートビューのサービスがスタートすれば、各都市のほとんどの通りについて、通りに立ったときの目の高さで見た360度の風景がインターネット上で提供される。実際にその街を散策かドライブしているかのような気分が味わえる。
ストリートビューはアメリカで07年にサービスを開始、対象地域は既に23カ国に拡大している。しかしドイツでは激しい抵抗に遭った。厳しいプライバシー保護法と、広範にデータを集めるグーグルの意図に対する疑念から、捜査が行われているケースもある。
グーグルが撮影車を送り込んだ地域の個人情報保護当局者は、ナンバープレートや顔など個人が特定できる部分はぼかし、住民が自宅の写真を消せるツールを用意することを要求した。
どの国でもそうしていると、グーグルの広報担当であるシュテファン・コイヘルは言う。違うのは、ドイツの場合は写真がオンラインにアップされる前に自宅の写真を消去するよう要求できる点だ。ほかの国ではサービスが始まってからでないと消去を要求できない。
09年5月以降、ドイツ人1万〜9万9999人(正確な数字をグーグルは公表していない)が自宅の写真の消去を要求している。「eメールかファクスか手紙で当社に連絡してもらえばいい」と、コイヘルは語った。
消去には本人確認が必要
それが問題だと、ハンブルク大学ハンス・ブレドウ・メディア研究所の双方向メディア専門家ヤン・シュミットは言う。「ドイツ人にしてみれば、『まず尋ねてもらいたい』といった気持ちだろう」
ドイツの個人情報保護当局は、グーグルが撮影用車両を送り込む日の数週間前に通知することを義務付けた。これにより、住民は玄関前の芝生を手入れしたり、その日は裸で日光浴をするのはやめるなどの対策ができる。
しかし、写真撮影は止められない。たとえ止められるとしても、多くのドイツ人はストリートビューが何かも知らない。撮影用車両が近所を走行するという通知があっても、見落としてしまうだろう。
写真を消去するには個人情報をグーグルに提供しなければならないのも問題だと、ハンブルクの個人情報保護担当官で地方政府とグーグルの話し合いを仲介しているヨハネス・カスパルは指摘した。自宅の写真を記録から消去する場合は、住所と氏名の確認が必要になる。
グーグルがストリートビューのドイツでのサービスを年内に開始すると発表したのには驚いたと、カスパルは言った。「私たちは問いを投げ掛けた。『自宅の写真を消去するために提供された新たな情報を、グーグルはどうするのか』と。グーグルの具体的な回答を待っている」
自宅の写真の消去を望む住民から提供された情報は、用が済んだら抹消すると、グーグルのコイヘルは語った。「処理をするには住所氏名などの基本情報が必要だ。情報自体には興味がなく、消去以外には使わない」
カスパルによれば、マイクロソフトなど他社も同様の地図情報プログラムを生み出す構えだ。企業による情報の収集と利用に関する「具体的な法律が必要」だと、カスパルは言った。
一方、グーグルは8月中旬、オンラインのフォーマットで消去要求の受け付けを開始した(9月中旬まで受け付け)。フォーマットの仕組みをめぐって、早くもさまざまな疑問が浮上している。
大きなマンションの住民が消去を望んだら、どうするのか(1件でも要求があればビル全体の写真を消去すると、コイヘルは語った)。喫茶店の経営者がライバル店の経営者に成り済まして、相手の店を消去させる心配はないのか(要求ごとに郵送で個人識別番号を知らせる必要がある)。1度消去しても再掲載できるのか(グーグル側は消去を求められたら完全に記録から消去する構えだ。再掲載を望む場合は、次の撮影まで待たなくてはならない)。
プライバシーをめぐる騒動はドイツが本当に必要としているものを見えなくしていると、コイヘルは言う。それは、双方向の地図ツールだ。ストリートビューのサービスがない国の中で、ドイツは特に使用頻度が高い。毎週、数十万人(正確な数は不明)がバーチャルの外国旅行を楽しんでいる。