コラム

中国発の大ヒットSF小説『三体』に秘められた中国的メッセージ

2021年08月03日(火)19時36分
ラージャオ(中国人風刺漫画家)/トウガラシ(コラムニスト)
『三体』の筆者、劉慈欣(風刺画)

©2021 REBEL PEPPER/WANG LIMING FOR NEWSWEEK JAPAN

<日本でもエンターテインメントとして人気の長編小説だが、そこには社会主義中国の伝統的価値観が色濃く反映されている>

『三体』は中国の代表的なSF作家・劉慈欣(リウ・ツーシン)のSF小説。2019年に日本で第1部が発売されるとたちまち10万部を売り、続く第2 部『黒暗森林』、第3部『死神永生』も予想どおり大人気だ。

日本の読者は『三体』を純粋なエンターテインメントとして読んでいるだろう。だが中国人の目から見ると、このSF長編小説には社会主義中国の発展史と中国人の伝統的価値観が隠れている。

例えば第1部の主要人物の物理学者・葉文潔(イエ・ウエンチエ)。彼女は文化大革命で物理学教授である父親が紅衛兵の批判大会によって死に追いやられ、地球人類に絶望してひそかに宇宙に電波を送る。そこから地球は異星人の「三体世界」と関わりを持ち始めるのだが、その姿は中国の社会主義に絶望し、欧米の先進文明に憧れる伝統的な中国知識人だ。

第2部と第3部に登場する羅輯(ルオ・ジー)は、地球人類と三体人類が平和共存するための自動報復システムのスイッチを握る独裁者で、三体文明が供与する先進技術によって地球を発展に導いた。核兵器による恐怖の均衡を実現しつつ、欧米先進国と国交を結び、その科学技術力を吸収して中国を世界第2 位の経済強国にした毛沢東、鄧小平と重なる。

小説を貫くのは宇宙文明の真理「暗黒森林理論」だ。「宇宙は暗黒の森であり、そこには猟銃を携えた無数の狩人(=異星文明)が身を潜めている。ほかの生命を発見したら、できることは相手より先に引き金を引くことだけ......」

あらゆる文明の究極の目的は生き残ること。それが唯一の正義であり、そのためにはあらゆる手段が許される――。「黒暗森林」である宇宙は、多民族・多国家が共存している国際社会の拡大版だ。他人を信じられない文化大革命中に成長した劉は、生存至上主義思想の持ち主あるいは理解者なのだろう。これは中国社会で古くから普及している価値観でもある。

第3部の中で、自動報復システムによる平和は羅の後継者・程心(チョン・シン)による宇宙運命共同体の信念と人道主義的慈悲によって破られる。生きることは文明社会の価値観や道徳に優先し、多民族・多文明共生は自らの民族と文明を滅亡させる、というメッセージが潜んでいる。

風刺画では、狩人に扮した作者の劉が無数の敵に囲まれている。『三体』で彼が暗示した生存至上主義は、国際社会における中国の一見、不可解な行動を読み解くヒントでもある。

ポイント

劉慈欣

1963年北京生まれ。山西省の発電所でエンジニアとして働きつつSF短編を書き始め、2015年に『三体』がヒューゴー賞を受賞。ほかに『流浪地球(さまよう地球)』など。

プロフィール

風刺画で読み解く中国の現実

<辣椒(ラージャオ、王立銘)>
風刺マンガ家。1973年、下放政策で上海から新疆ウイグル自治区に送られた両親の下に生まれた。文革終了後に上海に戻り、進学してデザインを学ぶ。09年からネットで辛辣な風刺マンガを発表して大人気に。14年8月、妻とともに商用で日本を訪れていたところ共産党機関紙系メディアの批判が始まり、身の危険を感じて帰国を断念。以後、日本で事実上の亡命生活を送った。17年5月にアメリカに移住。

<トウガラシ>
作家·翻訳者·コラムニスト。ホテル管理、国際貿易の仕事を経てフリーランスへ。コラムを書きながら翻訳と著書も執筆中。

<このコラムの過去の記事一覧はこちら>

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

バイデン大統領、31万人に学生ローン免除 美術学校

ワールド

米名門UCLAでパレスチナ支持派と親イスラエル派衝

ビジネス

英シェル、中国の電力市場から撤退 高収益事業に注力

ワールド

中国大型連休、根強い節約志向 初日は移動急増
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉起動

  • 4

    ポーランド政府の呼び出しをロシア大使が無視、ミサ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    米中逆転は遠のいた?──2021年にアメリカの76%に達し…

  • 7

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 8

    パレスチナ支持の学生運動を激化させた2つの要因

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    大卒でない人にはチャンスも与えられない...そんなア…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    「誰かが嘘をついている」――米メディアは大谷翔平の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story