コラム

アメリカがギュレン師をトルコに引き渡せない5つの理由

2016年07月19日(火)15時00分

 5点目は地理的な問題です。現在ギュレン師が居を構えているのは、ペンシルベニア州のセイラーズバーグという場所です。このセイラーズバーグというのは、州北東部にある「ポコノ山地」という高原地帯の入り口にある閑静な山間部のコミュニティです。

 筆者の住んでいるニュージャージーからは車で1時間半程度の距離で、ニューヨーク州の北部やペンシルベニア州の北部に用事のある際には良く通る州道の高速33号線に沿ったところにあります。本当に静かな山の中です。言ってみれば、ポコノが軽井沢なら、セイラーズバーグは松井田とか下仁田という感じでしょうか。都会からは離れた山地ですが、静かな住宅地、あるいは別荘地として知られています。

 興味深いのは、このセイラーズバーグにはヒンドゥー教の改革運動である、アーリヤ・サマージ系の宗教学校もあります。そもそもアメリカというのは、旧大陸で迫害を受けた清教徒(ピューリタン)が建国しましたが、なかでもこのペンシルベニアというのは、その設立者の一人であるウィリアム・ペンの考え方により、特に「信教の自由」「他宗教への寛容」を徹底する考え方が今でも生きています。

 ですから、ドイツのルター派の中で近代文明を否定したり、徹底した博愛主義を唱えたりして迫害を受けた「アーミッシュ」のコミュニティが、ペンシルベニアには今でも残っているのです。そうした風土がアーリヤ・サマージ系の拠点となった背景にあり、亡命地としてギュレン師がここを選んだのも同じ理由だと思います。

【参考記事】人種分断と銃蔓延に苦悩するアメリカ

 そのような土地に暮らすギュレン師を、迫害される可能性が濃厚な中で、トルコに送還してエルドアン政権に引き渡すのは、アメリカの建国の理念そのものに反することになってしまいます。

 以上のように、アメリカがギュレン師の身柄をエルドアン政権に引き渡すことは、非常に考えにくく、結果として米欧とトルコの関係は一層の冷却が進むことが考えられます。エルドアン政権は、そこまで計算して行動している可能性もあります。

 とは言え、他の中東のイスラム諸国とは違って世俗主義を旨とするトルコで、ナショナリズムに火が付いて「反欧米」的な運動が強まり、大統領の求心力を支えるような展開になるかどうかは見えにくいところがあります。トルコで発生した「クーデター未遂」によって、ペンシルベニアの静かな高原の町はにわかに騒々しくなっています。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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