コラム

「外国人観光客無償誘致」に賛成できない理由とは?

2011年10月11日(火)11時22分

 今回の「外国人観光客1万人無償誘致」という観光庁のアイディアは、人気グループ「嵐」を起用した「招き猫ニャーン」キャンペーン同様に、「ピントの外れた企画」と言わざるを得ません。このニュースですが、既にアメリカのニュース専門のTV局には広報資料が行っているようで、今日あたりからはニュースの画面の下に流れるテロップ(ティッカー)にニュース短信として流れ始めています。ですが、別に政府間で約束したわけでもないわけですから、今からでも止めるべきではないでしょうか? 11億円というのは大変な金額です。

 報道(読売新聞電子版、及びAFP通信)によれば、原発事故の影響で来日外国人が減っている中で、無料で招待した旅行者に肯定的なレポートをネットで発信してもらうことが期待されているというのです。

 まず、この原発事故の問題があります。放射線の人体への影響に関しては「エネルギーが経済成長に必要という立場から、自分なりにDNA損傷による発ガン確率の統計的傾向について勉強した人」は影響を「低め」に、「自然への人的作為を嫌う中で原発に懐疑的になり、その延長で政府や大企業の情報提供が足りないと感じ、公表されていない危険性を自分なりに勉強した人」は「高め」に受け止める傾向があるわけです。

 これは日本だけに限った話ではなく、日本社会が正に人生観・自然観の問題として真っ二つに引き裂かれているように、諸外国でも全く同じように「両極端」に割れているのです。さて、例えばアメリカの場合で言えば、「クールジャパン」というカルチャーに魅力を感じている人は、圧倒的に後者、つまり「エコ+反原発+嫌放射線」という価値観を持っているわけです。

 勿論、日本が好きで好きで「たまらない」ので、多少のリスクは覚悟してという人は沢山いますが、その多くは日本に住んでいる外国人です。現時点で例えばアメリカに住んでいる「日本のファン」の場合は、「日本は心配だけど、自分は行かない」という人が圧倒的だと思います。

 それでも、「航空券がタダ」という魅力に惹かれて来る人はゼロではないでしょう。ですが、この「タダ」というのがクセモノです。本当に日本が好きな人は、今でも何らかの援助がしたいと思っているわけです。日本の役に立ちたい、必要ならもう一度募金をしても良い、そのぐらいの気持ちが彼等にはあるわけで、そこへ「航空券はタダですよ」というキャンペーンを張るというのは、やはり違和感があると思います。

 勿論、11億円÷1000イコール11万円、つまり1500ドル相当の航空券がタダでもらえるというのなら、応募者は殺到するでしょう。ただ、その多くはコアの日本ファンではないという可能性を覚悟した方がいいのです。コアな日本ファン、日本のカルチャーをよく知っている人は、残念ながらその多くは同時に「嫌放射線カルチャー」の人であり、その嫌悪感情というのは日本で発生しているものと質も程度も同じだからです。

 ということは「無料航空券」を手にする人の多くは、日本カルチャーの初心者である可能性が高いということになります。仮にそうだとすると、次の問題が生じます。それは現在は1ドル=76円台という超円高であるということです。「タダなら行ってみたい」という人に、それほど滞在費の用意があるはずもない中、ホテル代にしても、食費にしてもドル換算では相当な負担になると思われます。

 そう考えると、日本というのは、初心者にはサバイバルが難しい「ディスティネーション」だということを指摘しなくてはなりません。「成田から都心まで何も考えずにタクシーに乗ってはダメ」「ホテルのルームサービスは値段をよく見てから」「安いファミレスやビジネスホテルでは英語は通じない」「ファーストフードのソーダはお代りはダメ」というようなことを徹底しないと、すぐにトラブルになると思います。

 勿論、成田から都心まで京成本線で行くと安いとか、牛丼店の定食は安くておいしいとか、飲み物はコンビニで買ってホテルへ持ち込めば良いとか、地下鉄だけで行けることろは他社線の乗り継ぎは避けるなどといった、色々なトラベル・サバイバル術があるわけで、それを実践している外国人もたくさんいます。でも、それは「上級編」であって、日本初心者には言葉の壁もあって非常に難しいと思われます。

 ということは、よほど「手取り足取り」でケアをしないと、「日本への好意的なコメント」など期待できないと言わざるを得ません。ネットでの「炎上」とか「暴言」というのは匿名性に守られた日本独自の現象だと思ったら大間違いで、英語の世界でもネットによるネガティブ情報の拡散というのは物凄いのです。

 インバウンドの外国人旅行者の激減が、観光関連の産業にとっては大打撃であり、何とかしたいという気持ちは分からないではありません。ですが、原発事故に加えて超円高の現在、投資に対する効果は極めて限定的と言わざるを得ないのです。11億円というカネが本当に使えるのなら、逆に超円高を生かして、若者を中心に多くの日本人に海外の見聞を広めてもらう方が、回り回って日本経済のためになるのでは思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏「ウクライナはモスクワ攻撃すべきでない」

ワールド

米、インドネシアに19%関税 米国製品は無関税=ト

ビジネス

米6月CPI、前年比+2.7%に加速 FRBは9月

ビジネス

アップル、レアアース磁石購入でMPマテリアルズと契
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パスタの食べ方」に批判殺到、SNSで動画が大炎上
  • 2
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機…
  • 5
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 6
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中…
  • 7
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 8
    「オーバーツーリズムは存在しない」──星野リゾート…
  • 9
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 10
    歴史的転換?ドイツはもうイスラエルのジェノサイド…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story