コラム

マードック帝国は崩壊するか?

2011年07月20日(水)12時14分

 英国のタブロイド紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』が、スキャンダル取材の方法として関係者の電話を違法に盗聴していた疑惑は、発覚後どんどん拡大しています。160年以上の歴史を誇った同紙は廃刊に追い込まれ、同紙の編集長だったレベッカ・ブルックス女史は逮捕、そして今週火曜の19日には、巨大なメディア企業の集合体「ニューズ・コーポレーション」を率いるルパート・マードック会長が英国議会に召喚されるという事態となりました。

 この問題は、主として英国のスキャンダルとして「王室への盗聴疑惑」あるいは「ニューズ・コーポレーション」とキャメロン政権の親密度といった文脈で語られることが多いのですが、先週以来アメリカでも問題が拡大しています。一番の問題は、『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙が、英国の「7・7テロ事件」の被害者家族だけでなく、アメリカの「9・11」の被害者家族に対しても盗聴を仕掛けていたことが疑惑として浮上しているからです。

 さすがに「9・11」が関係するとなると、アメリカ政府としても放置できなくなり、FBIが本格的に捜査を開始すると宣言しています。ここまでの話ですと、アメリカのFBIが、廃刊された英国のタブロイド紙の関係者を捜査するだけの話に聞こえますが、FBIや政界からは、「ニューズ・コーポレーション」全体に問題があるのであれば、その子会社である米国のFOXネットワークの「TV放映免許」を取り消す可能性があるという話も出たり入ったりしているのです。

 FOXと言えば、今はアメリカの「4大ネットワーク」の一角を占め、ドラマにスポーツに巨額なカネを動かす巨大メディアであり、その免許が危ないということですと、これはただ事ではありません。一方で、同じく「ニューズ・コーポレーション」の傘下にある『ウォール・ストリート・ジャーナル』などの発行元であり、経済情報の大手、ダウ・ジョーンズ社は「自分たちの編集権は独立しており、英国のスキャンダルは無関係」としています。

 考えられるケースとしては、企業全体の「カルチャー」に問題があるという指摘が米英の政府筋から出て来る中で、例えば米FOXとか、米ダウ・ジョーンズなどを、それぞれ切り売りしていかねばならない、逆に各メディアは、スキャンダルにまみれたニューズの傘下から離脱して行くという可能性があります。

 では、一気にこのグループは崩壊してゆくかというと、そう簡単ではありません。例えば、マードックの好敵手と言われた同じく英国のメディア王、ロバート・マックスウェルの帝国(『デイリー・ミラー』紙や出版社のマクミランを支配していた)は、1991年に総帥のマックスウェルが怪死したことをきっかけに、ガラガラと音を立てて崩壊してしまいました。ですが、このマックスウェル帝国の場合は、実は財務的には綱渡り状態のガタガタな内容で、崩壊は時間の問題だったのです。

 ですが、マードック率いる「ニューズ・コーポレーション」は、1991年当時のマックスウェル帝国と比較しますと、規模からしても財務的にも比較にならないほど巨大で安定した内容を誇っています。ですから、簡単には崩壊しないでしょうが、米英の当局から強いプレッシャーを受ければ、そして世論からの激しい批判を浴びればどうなるかは分かりません。傘下各企業はみすみす企業価値を下げるよりは、独立したり他のグループに買われたりするような展開になるのではないかと思われます。事態の推移が気になるところです。

 ちなみに、今回の摘発ドラマの「背景」ですが、米英での保守的な論調がリベラルの怒りを買っていたというようなものではないように思います。1つの可能性は、ニューズ・グループ全体が露骨に親中的になってきていること、これに対して何らかの意思が動いているという見方は可能です。

 マードックという人は、実にアッケラカンとした人で、昔から「その国の愛国心を煽るのがメディアビジネスの経済合理性」というようなことを公言してはばからなかったのです。これは大変に有名で、例えばコソボ紛争の際に、米軍がサラエボの中国大使館を誤爆した事件などは、アメリカのFOXでは米国びいき、同じグループでも93年以来支配していた香港のスターTVでは反米的な報道をしていたようで、それも当時はマードック「らしい」などと言われていたわけです。

 ですが、現在は、そのスターTVの幹部であったウェンディ・デン女史が、マードックの夫人となっているのです。ウェンディ女史との結婚を契機に、グループ全体において、親中的な色彩が増したという解説もあります。そのウェンディ女史ですが、今回の英国議会の公聴会では、マードックのすぐ後の席に陣取っており、暴漢が「パイ投げ」をしてきた際には、その男にビンタを食らわせたという報道もあり、なかなかの女傑のようです。

 現在80歳のマードックが引退することになれば、33歳年下のウェンディ夫人という中国人女性が米英を中心とした英語圏の巨大メディア帝国を支配する可能性もあるわけです。これに対する、何らかの「懸念」のモメンタムが、今回の暴露劇の背後にはあるのかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国、輸入インフレ警戒 中東紛争で景気下押し圧力

ビジネス

デンソーの5カ年中計、ROE10%・成長投資と株主

ビジネス

2月住宅着工、前年比4.9%減、4カ月連続マイナス

ビジネス

中国3月製造業PMIは50.4、1年ぶり高水準 持
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
2026年4月 7日号(3/31発売)

国際基準の情報開示や多様な認証制度──本当の「持続可能性」が問われる時代へ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 2
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引、インサイダー疑惑が市場に波紋
  • 3
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が育んだ「国民意識の違い」とは?
  • 4
    アリサ・リュウの自由、アイリーン・グーの重圧
  • 5
    なぜイスラエルは対イラン戦争を支持するのか...「イ…
  • 6
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 7
    初の女性カンタベリー大主教が就任...ウィリアム皇太…
  • 8
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度…
  • 9
    ヘンリー・メーガン夫妻の豪州訪問に3万6000人超の反…
  • 10
    ビートルズ解散後の波乱...「70年代のポール・マッカ…
  • 1
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 2
    ヘンリー・メーガン夫妻の豪州訪問に3万6000人超の反対署名...「歓迎してない」の声広がる
  • 3
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が育んだ「国民意識の違い」とは?
  • 4
    三笠宮彬子さまも出席...「銀河の夢か、現実逃避か」…
  • 5
    中国の公衆衛生レベルはアメリカ並み...「ほぼ国民皆…
  • 6
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度…
  • 7
    中国最大の海運会社COSCOがペルシャ湾輸送を再開──緊…
  • 8
    映画『8番出口』はアメリカでどう受け止められた?..…
  • 9
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 10
    作者が「投げ出した」? 『チェンソーマン』の最終…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 5
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 6
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 7
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 8
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story