コラム

ストラス=カーン事件、急展開したドラマに落とし所はあるのか?

2011年07月04日(月)10時36分

 それにしても正に「小説より奇なり」としか言いようがありません。ニューヨークの高級ホテル「ソフィテル」のスイートルームで、客室係の女性をレイプした容疑で逮捕されていた、IMF(国際通貨基金)の前専務理事、ドミニク・ストラス=カーン(DSK)氏に対する容疑は、逮捕の根拠となった「被害者証言」の信憑性が崩れる中で、ドラマは全く逆の方向になりつつあるのです。

 本稿の時点では、DSK氏は完全に無罪放免とはなっていません。ですが、各テレビ局が雇っている法律の専門コメンテーター達は、一斉に「容疑は完全に崩れた」と断じていますから不起訴は時間の問題とみなされているようです。既に「自宅軟禁」は解除され、保釈金は全額返還、アメリカからの出国は認められていないものの国内の移動の自由は保障されている、そう報道されています。

 というのは、「被害者」の客室係が「レイプ被害に関するウソの親告」を行った前科があること、麻薬密売組織との関連があること、「事件」の後にわざわざ該当のスイートルームの清掃をするなど行動に疑問があること、しかも検事の取り調べにおける詳細な証言において事実関係がいい加減なこと、など疑惑だらけだったことが明らかとなりました。

 アメリカは、レイプ被害者に関して保護しつつ犯罪を立件することに関しては、かなり丁寧な法制を整えています。ですから今回の問題でも、当初はフランス本国で「DSK氏は罠にハメられた」という説が出回っているというようなニュースはアメリカではほとんど伏せられる中、この事件は外交問題でもなく、NYローカルの凶悪事件であり偶然に容疑者がVIPだっただけ、という扱いでした。

 ですが、専門家によれば「嘘をついた前科があってもレイプ被害を親告することは可能、勿論被害者が売春行為の常習者であってもレイプの立件は可能」であるけれども、「レイプ被害についてウソをついた前科があるとなれば、陪審員の心証を有罪に持ってゆくことは不可能、まして今回の件で『いくらカネが取れるか?』などと収監中の人間と会話していたのなら、全く無理」ということで、今回のような事態になったというわけです。

 さて、こうなると外野からは色々な声が飛んで来るのは仕方がありません。つまり、陰謀説です。まあ、状況証拠的には色々と言えるわけです。DSK氏はIMFの専務理事だったわけで、IMFの政策に関与しようという動機から罠を仕掛けたとか、専務理事から追い落とそうとしたとか、また2012年の選挙へ向けて、フランス社会党の大統領候補最右翼だっただけに、社会党内からライバルのサルコジ大統領まで、彼の失脚を期待する勢力はあったかもしれません。

 アメリカとしても、IMFの政策によっては欧州通貨危機とアメリカの金融界の関係での損得が発生しますし、例えばサルコジ政権と「リビア空爆」で共同戦線を張っているオバマ政権としては、サルコジの政敵を追い落として盟友のサポートをしようという動機も、勘ぐればまあ話として成立しないわけではありません。

 更に言えば、この「客室係」の周辺もかなり奇妙です。まず、彼女はギニア出身だそうで、ビザを得てフランス系の高級ホテル「ソフィテル」で働いていたようです。検察筋からのリークによる「ニューヨーク・タイムズ」の報道によれば、ギニア時代に「ニセのレイプ親告」事件を起こしているようです。また、交際相手の男性が現在はアメリカで「移民局管轄の拘置所」に拘留中で、「いくらカネが取れそうか?」という怪しい会話は、この男性との通話を録音されていて動かぬ証拠になっているそうです。

 その「動かぬ証拠」ですが、この客室係と交際相手はフランス語で会話していたのですが、ギニアの珍しい方言のため「解読」に時間を要したという報道もあります。というわけで、移民局や、地方検事などの情報が錯綜する、一方で舞台となったホテルはフランス資本、登場人物はフランスのVIPとギニア出身の客室係というわけで、「小説より複雑な設定」の物語であると言えますし、そこに影のプレーヤーとして複数国の諜報組織なりが関与していても、何ら不思議はありません・・・というわけで、決して証明はできないにしても陰謀説を唱えようと思えば、それはそれで各種可能なわけです。

 この事件ですが、全体としては両国の世論共に基本的には冷静です。冷静である一方で事件の謎解きからの視点や、刑事法制からの関心、あるいは女性の権利保護の視点、政争の視点など米仏それぞれに複数の視点が入り乱れて、賑やかになっているわけです。相互のナショナリズムが衝突するのではなく、双方に複数の視点があるというのは、私は健全なことだと思います。

 もう1つ、今のところはDSK氏と客室係との間に「合意の関係」はあったという証拠があり、DSK氏側も認めているのですが、それでも「大統領候補としての政治生命は終っていない」というあたりに、フランスとアメリカのカルチャーの大きな違いがあるわけです。こうした価値観の違いも、ドラマへの視点を立体的にしていると言えます。

 それはともかく、現時点では当面のところ地方検事は「起訴の取り下げまでは考えてない」、つまり訴訟の維持が可能かどうかは別として、何らかの性暴力はあったという立場を変えてはいません。ですが、国内外からの様々な非難が殺到する中、とりあえず「何らかの司法取引」が模索されるのか、起訴内容を大幅に軽微なものに限定してウヤムヤにするのか、数日内に展開が出てきそうです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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