コラム

イチロー選手に迫る「包囲網」

2010年03月05日(金)10時51分

 メジャーリーグもオープン戦(スプリング・トレーニング)が始まりました。マリナーズのイチロー選手は、早速一番バッターで安打も打ったようですが、このイチロー選手に対して、今シーズンは「包囲網」が迫ってきているように思うのです。

 イチロー「包囲網」の第一は、ショーン・フィギンス選手の加入です。フィギンス選手獲得の表向きの理由は、内外野の守備ができる器用さを買ってということのようですが、エンゼルスの不動の一番バッターを務め、アリーグ西地区ではイチロー選手のライバルだったフィギンス選手の獲得にはもっと深い意味があるように思います。

 それは、仮にあるシナリオが進行した場合に、1番バッターをイチロー選手からフィギンス選手に変更するというオプションを球団は持ったということです。では、そのシナリオとは何でしょうか? イチロー選手が年齢に勝てずに成績が大不振に陥った場合でしょうか? 確かにそうなれば、フィギンス選手の1番バッターということはあるでしょうが、何と言っても人の見えないところで信じられないようなトレーニングを重ねてきているイチロー選手です。急速に衰えることは考えにくいと思います。

 マリナーズの考えているシナリオとは、そうではなくてチームが久しぶりにアメリカンリーグ西地区で優勝を争う、あるいはアメリカンリーグのワイルドカード争いに絡むという可能性です。その場合にどうして、イチロー選手をフィギンス選手を使って「包囲」する必要があるのでしょうか? それは出塁率の問題です。シアトルのファンの一部は、そしてマリナーズの過去の中軸打者(多くは放出されていますが)の多くは、ボール球でも手を出す中で1番バッターとしては異様に出塁率の低いイチロー選手のスタイルに納得していないのです。

 自身の信念か、あるいは200本安打にこだわるファン心理に応えてのことか、ボールを選べば出塁できるのにそれをしないイチロー選手のスタイルは、仮にペナントレースが白熱した場合には、今季も問題になると思います。そのイチロー選手にプレッシャーを与えるために、このフィギンス選手は存在しているのだと思います。今のところは、イチロー1番、フィギンス2番(もしくは3番)となっていますが、これが逆になる可能性は十分にあるのです。

 一部の報道では、往年のスーパースターで、マリナーズの同僚であるケン・グリフィー・ジュニア選手が、イチロー選手に「シーズン300安打を狙ったら」と言ったそうです。細かなニュアンスは不明ですが、もしかしたら、ケン・グリフィー一流の厳しくも暖かいジョークかもしれません。「年間安打を追いかけるのはそろそろ止めた方が」という含意がもしかしたら秘められている、その可能性は十分にあります。

 ところで、マリナーズは今季の優勝争いについて本当に真剣なのでしょうか? 答えはイエスです。というのは、大枚をはたいてクリフ・リー投手を獲得したことからも明らかです。クリフ・リー投手というのは「球界最高の左腕」ですが、フィリーズが「球界最高の右腕」ハラディー投手を獲得するために放出した経緯があります。大活躍したにも関わらず、政治的・経済的理由で放出された選手は、移籍先で大活躍するというのは、故小林繁投手の例にもあるように、良くあることで、リー選手が大活躍する可能性は濃厚です。となれば、マリナーズに関しては「今年こそ」という思いがフロントにもファンにも出てくるでしょう。その意味で、リー投手の加入も「包囲網」の1つでしょう。

 しかし、何と言っても「イチロー包囲網」の最たるものは松井秀喜選手だと思います。松井選手といえば豪打というイメージがありますが、ボール球は絶対に打たないチームバッティングの強固なスタイルを持っているという側面もあります。例えば、昨年の四球数は、イチロー32に対して、松井は66と打席数を考えると信じられないような開きがあるのです。

 ちなみに、松井は審判に絶対に抗議しないばかりか、判定に素直に従うことと、球審に必ず挨拶するので有名です。本当は審判への私語は禁止されているのですが、松井選手は「人格者だから」ということで許されているという面すらあるのです。ですから、フルカウントからの臭いコースを堂々と松井選手が見送るとだいたいボール判定になります。メジャーのストライクゾーンは実に人間くさく伸縮するのですが、松井選手の場合はほとんど「松井ゾーン」というのがあるとすら言って良いと思います。

 その松井選手が同じ西地区に来たことで、イチロー選手のスタイルとの対比は隠しようのないものになるでしょう。下手をすると、スラッガーの松井の出塁率(昨季は367)がイチローの出塁率(昨季は386)を上回るようなこともあり得ます。松井選手の場合も、クリフ・リー投手同様に、移籍先での大活躍という現象が起きる可能性があるからです。そうなれば、イチロー選手への風当たりは厳しくなるでしょう。ちなみに、問題のフィギンス選手の昨季の出塁率は何と395です。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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