コラム

健保改革反対派の情念とは?

2009年08月21日(金)12時36分

 昨年の選挙戦を通じてオバマ大統領が訴えてきた「健康保険改革」は、新政権の目玉といって良いでしょう。大統領自身は絶対に実現するという気負いがあるのも分かります。ただ、2008年9月の「リーマンショック」以来の経済危機という情勢下、「危機対応」ではなく「旧政権当時にはなかった新しい政策へのチェンジ」となるこの健保改革を「このタイミングで」実施することには意見が分かれるのも仕方がないとも言えます。

 ですが、大統領は今のところ「改革の旗」を下ろしてはいません。それどころか、全国を回って反対派との対話集会(タウンホール・ミーティング)を続けていますし、上下両院の有力議員たちも同じように様々な形で選挙民との対話を続けています。そのタウンホール・ミーティングですが、ある程度予想されたこととはいえ、かなり荒れています。

 ペンシルベニアで最近共和党から民主党に鞍替えしたばかりのスペクター上院議員が「会場のほぼ全員が反対派」という集会で孤軍奮闘する映像が、TVのニュースで何度も流れましたし、「健康保険の社会主義化(ソーシャライズ)絶対反対」であるとか、「イギリス、カナダ方式の公営保険は要らない」というプラカードを掲げたデモ隊の姿も繰り返し報道されています。中には、強引に健保改革を進めるオバマ大統領をヒットラーやナチスにたとえるような「反対派」まで登場する始末です。

 こう申し上げると、ここ数年の間、静かになっていた「草の根保守」が復活しつつあるとか、黒人大統領を好まない保守派がここぞとばかりに暴れ始めたという印象を抱く方もあるかもしれません。ですが、私の見るところ、ちょっとニュアンスが違うように思います。「草の根反対派」のコアにあるのは、イデオロギーではないように思うのです。

 というのは、とにかく「今までそれなりの仕事について、それなりの保険に入っていた」人たちは、保険のある有り難みよりも保険に関わる諸々の制約に「頭に来ていた」ということがあり、健康保険に関して「これ以上、条件が悪くなるのは耐えられない」という思い詰め方をしているのです。では、彼等が何に「頭に来ていた」のかというと、(1)好きな医者にかかれない、(2)手術などの際に保険がカバーしないからと入院1日で追い出される、(3)MRIとかCTなどの高額の検査の場合は保険承認を得るのが大変、つまり最先端の治療がなかなか受けられない(4)診療1回の自己負担額がジリジリ上がってきている、というような「これまでガマンしていた怒り」です。

 こうした怒りを腹の底で抱えていながらも、それもこれも「民営という経済合理性」のためには仕方がない、仮に経済合理性を外したら医療費は青天井になってしまう、という理解をしてガマンしていた、それが「今までそれなりの保険に入っていた人」の思いだと思います。そこへオバマが「パブリック・オプション」という公設保険構想を持ち出したのです。すると彼等は、(1)これまでの自分たちの苦労は何だったんだ?(2)公費で楽に保険に入る連中が増えたら、民間の保険会社は収益が圧迫されて結局俺達の保険の条件が悪化するんじゃないか? というような「反対派のプロパガンダ」にサッと乗せられてしまったのです。

 決定的だったのは「パブリック・オプション(公設保険構想)が実現したら、自分の会社はケチだから会社ぐるみでパブリック・オプションに加入してコストダウンを狙うんじゃないか? そうしたら今の条件よりずっと悪くなるに決まっている」という懸念、というより恐怖でした。この点が騒がれるようになった時点で、反対論が加速したように思います。一言で言えば、イデオロギーの情念が先にあったのではなく、今までの保険へのガマンをしていた鬱積したものが「イデオロギー的な枠」に乗っかってオバマ案へのアンチになっている、そして「俺達が僅かでも損する案は絶対反対」という意固地になっているというのが真相だと思います。

 そんな中、自分は無保険という層の「元気なオレまで保険に入れられて保険料を取られるのは反対」とか、富裕層の「保険改革の財源に増税されるのはガマンできない」という声も合わさって、政治的には混迷が深くなってきました。オバマ大統領はその辺りは全て分かっているようですが、あくまで「話せば分かる」という姿勢を貫いている点、いかにもオバマらしいとはいえ、先行きは不透明です。一部民主党議員の造反の動きもあり、またオバマ大統領自身が「コロッ」と「パブリック・オプション」を引っ込めるという可能性もゼロではなく、今週現在の情勢は極めて流動的です。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:イラン戦争でインフレ再燃、トランプ政権に

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、中東停戦維持期待で安全資産

ワールド

イラン交渉団がパキスタン到着、レバノン停戦要求 米

ビジネス

米国株式市場=まちまち、中東交渉控え様子見 ハイテ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの大誤算
特集:トランプの大誤算
2026年4月14日号(4/ 7発売)

国民向け演説は「フェイク」の繰り返し。泥沼化するイラン攻撃の出口は見えない

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 2
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 3
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国防軍は崩壊寸前」
  • 4
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 5
    目のやり場に困る...元アイスホッケー女性選手の「密…
  • 6
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 7
    「仕事ができる人」になる、ただ1つの条件...「頑張…
  • 8
    中国がイラン戦争一時停戦の裏で大笑い...一時停戦に…
  • 9
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 10
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 1
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 2
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 3
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 4
    韓国、生理用品無償支給を7月から開始 靴の中敷きで…
  • 5
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 6
    イラン戦争の現実...アメリカとイスラエル、見え始め…
  • 7
    「考えの浅い親」が子どもに言ってしまっている口ぐ…
  • 8
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 9
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 10
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 5
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 6
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 7
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 8
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story