コラム

イスラエル人とは何かを掘り下げる、『6月0日 アイヒマンが処刑された日』

2023年09月06日(水)18時45分

そんな3つの集団を頭に入れておくと、本作でアイヒマンの処刑や火葬に関わる主人公たちの立場がより興味深く思えてくるだろう。まず注目したいのは、1年前に父親や弟とリビアからやってきた少年ダヴィッド。本作は1961年、彼が通う学校の場面から始まる。教室では授業を中断して先生と生徒たちが、アイヒマンの裁判の判決を伝えるラジオに聞き入っているが、ダヴィッドは放送を無視して勝手な行動をとり、先生から「歴史的瞬間だぞ」とたしなめられる。その先生はアシュケナジムであり、その後も授業の邪魔をする彼に、「君はユダヤ人に属するか? 君はイスラエル人か?」と問いかける。

ダヴィッドの父親は彼を町はずれの鉄工所に連れていく。社長のゼブコが炉のなかに入って掃除ができる人間を探していたからだ。それをきっかけに、ダヴィッドは学校を抜け出して鉄工所に入り浸るようになるが、そんなときにアイヒマンを火葬にするための小型焼却炉を作るという極秘プロジェクトが舞い込むのだ。

ローゼンタールの前掲書には、ユダヤ人の現代史ではめったに語られないミズラヒムのユダヤ人について、以下のように説明されている。

oba20230906b_.jpg

『イスラエル人とは何か ユダヤ人を含み超える真実』ドナ・ローゼンタール 井上廣美訳(徳間書店、2008年)


「一九四〇年代、アラブ・イスラム民族主義が台頭すると、中東や北アフリカで反ユダヤの暴力が吹き荒れた。(中略)一九四八年から一九六〇年代までの間に、イエメン、イラク、エジプト、シリア、レバノン、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、イラン、アフガニスタンといった国から、計八七万人のミズラヒムが脱出した。このうち、イスラエルにやってきた難民は六〇万人」

さらに、両親がイエメン出身で、テルアビブの貧困地区で育った少女が語る学校の話も参考になるだろう。学校の教科書はアシュケナジムの視点で書かれ、勉強するのはヨーロッパのユダヤ人やホロコーストのことばかりで、貧しいミズラヒムやアラブ系ユダヤ人のことはまったく出てこない。「私だって仲間に入れてほしかった。でも、私の話なんて教科書にはありませんでした。私たちの文化なんて数に入ってないように見えました」

ダヴィッドもそんなミズラヒムのひとりで、ずっと周縁に追いやられてきたが、焼却炉作りに加わることで歴史と関わる。そんな彼には帰属意識が芽生え、高まっていく。

スペイン語で会話する二人

次に、アイヒマンが収監されているラムラ刑務所で、アイヒマンの警護にあたる刑務官のハイム。彼は本人が語るようにモロッコ出身だが、単純にミズラヒムとはいいがたいところがある。

彼は有力な地位にあり、刑務所の所長から、処刑直後にアイヒマンの遺体を所内で内密に火葬し、灰にする計画の遂行も任されている。そこでハイムは、焼却炉のプロジェクトを、イスラエル独立闘争の戦友であるゼブコに委ねた。さらにもうひとつ見逃せないのが、ハイムとアイヒマンがいつもスペイン語で会話していることだ。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=

ビジネス

GM、通期利益予想引き下げ 関税の影響最大50億ド

ビジネス

米、エアフォースワン暫定機の年内納入希望 L3ハリ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story