コラム

60年代のル・マンをめぐる実話『フォードvsフェラーリ』が描く米と欧州の違い

2020年01月09日(木)16時45分

しかし、アメリカでベストセラーになった本書にわざわざ言及したのは、そんな違いを確認するためだけではない。ベイムが描く覇権争いの背景には、モータースポーツにさほど関心がない筆者でも引き込まれる面白さがあるからだ。それはもちろん本作の背景にもなる。

たとえば、「クルマは大西洋を挟んだ両側で2種類の異なる種に進化していった」という記述だ。ベイムはアメリカとヨーロッパの違いを以下のように説明している。


「文字通り山を動かして都市計画によって道路を通したアメリカは、道も広々としているため、クルマと言えば大きなエンジンがすべてだった」


「レース発祥の地であるヨーロッパは、アメリカとは対照的だった。町と町を繋ぐ道路がレース編みのように大陸全体に広がるヨーロッパの道は、よじれ、たわみ、丘、谷といった地形の輪郭に沿って作られた。そのため、ヨーロッパでは、素早くパワーを発揮できる小さなエンジンと共にクルマが進化していった。加速と減速を繰り返すコーナリングには、耐久性の高いギアボックス、柔軟なサスペンション、素早いハンドル操作ができるメカニズム、長持ちするブレーキなどが必要だった」

進化の違いは、ビジネスモデルや生産体制にも表れる。ヨーロッパで台頭する新進企業にとって、レースは技術開発のための実験室であり、勝利がステータスとなって需要を生み出した。そんなレースに頼るビジネスモデルによって、フェラーリは絶対王者になっていた。

組織の論理やチーム主義を押しつけてくるフォード

本作の導入部では、オートメーション化されたフォードの工場とすべて手作業で進められるフェラーリの小さなファクトリーが対置されている。ベイムによれば、当時、フェラーリが400人強の従業員の手作業で1年におよそ600台のカスタマーカーを製造していたのに対して、フォードのルージュ工場では毎日その2倍のクルマが作られていたという。つまり、フォードとフェラーリの間に生じた確執を契機とする覇権争いでは、異なる歴史や文化がぶつかり、あるいは交わっていくことになる。

そこで興味深くなるのが、アメリカにおけるシェルビーの立ち位置だ。彼の小さな自動車メーカーは、手作業でスポーツカーやレーシングカーを作り、アメリカ国内でレースに頼るビジネスモデルを構築し、脚光を浴びていた。「シェルビーはアメリカのフェラーリになっていた」。しかもそこでは、異なる歴史や文化が交わっていた。「大型エンジンというアメリカの考え方で、ヨーロッパ・スタイルのクルマを作っていた」ということだ。

こうしたことを踏まえておくと、ベイムのノンフィクションとは異なる本作の切り口が持つ意味が明らかになる。

エンツォ・フェラーリは、レーシングチームの絶対的な独立性を保持できないことを知って、破談を選択した。フォードのオファーを受け入れたシェルビーとマイルズは、そんな絶対的な独立性もないまま、ル・マン6連覇中のフェラーリに挑むことになる。

フォード側は、組織の論理やチーム主義を押しつけてくる。マイルズはレーシングカーの改良に多大な貢献をするが、その型破りな言動がレーシング部門責任者ビーブの反感を買う。ビーブはなんとかしてマイルズを排除しようと画策する。シェルビーはフォード2世に直談判することで苦境を乗り切ろうとする。だが、シェルビーとマイルズは、ル・マンのレース中も組織に振り回されていく。

本作における対決はひとつではない。シェルビーをアメリカのフェラーリとみなすならば、本作には二重の意味で"フォードvsフェラーリ"が描き出されている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減

ビジネス

米KKRの1─3月期、20%増益 手数料収入が堅調
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story