コラム

デンマーク軍兵士がアフガンで関与した平和維持という戦争の姿

2016年09月29日(木)16時45分

重圧にさらされ、負担や犠牲を強いられる個人の姿

 『ある戦争』は、そんな背景を踏まえてみるとより興味深いものになる。主人公は、アフガニスタンで市民を守る任務にあたるデンマークの治安部隊の隊長クラウスだ。ある日、彼が率いる部隊が、巡回中にタリバンの待ち伏せに遭い、激しい攻撃によって部下が致命傷を負う。クラウスはその部下を救うために、敵が潜むと思しき区域に空爆の命令を下す。その決断によって部下は助かるが、空爆によって幼い子供を含む11人の市民の命が失われていた。軍から起訴された彼は、法廷で裁かれることになる。

 この映画は、アフガニスタンで任務にあたる部隊、デンマークでクラウスの帰還を待つ妻子、法廷という3つの世界で構成され、事件と法廷に至るまでには様々な伏線がある。その裁判は、クラウスが空爆を命じるにあたってPID(敵兵の存在確認)を行ったかどうかという一点だけで争われる。クラウスの傍にいた兵士のヘルメットのカメラには、現場の映像とともに、「敵の確認など不要だ、敵を見たと伝えろ」という彼の言葉が記録されていた。クラウスは不利な立場に追いやられるが、伏線と結びつくときそんなPIDをめぐるやりとりは別な意味を持つ。

 だが、伏線に話を進める前に、もうひとつ確認しておくべきことがある。デンマークのアフガニスタン支援の主な目的は、女性の権利を重視した人権擁護や地方の生活環境改善などであり、国民はその目的を支持したといえる。それはクラウスの部隊の行動にも反映されている。クラウスは住人から助けを求められ、彼の家を訪れて、火傷を負った娘の手当てをする。また、住人たちと話し合い、井戸の整備を手伝う代わりに地雷の撤去への協力を求める。しかし、そんな活動が信頼関係へと発展することはない。

 この映画に描き出される戦場で注目しなければならないのは、敵が実際に姿を見せる場面がたった一度しかないことだ。しかもそれは、500m離れた位置から爆発物を回収しにきた男を確認し、狙撃するというエピソードに過ぎない。映画の冒頭では、巡回中に兵士のひとりが地雷で両足を吹き飛ばされ、十分な処置も受けられずに息を引き取る。敵が見えない戦場で突然、仲間を失った兵士たちは、任務に疑問を覚え、不満を爆発させる。そこで、本来なら基地で指揮をとる立場にあるクラウスが、部隊の士気を鼓舞するために巡回に参加するようになる。

 だが、彼にのしかかる負担はそれだけではない。デンマークでは妻が3人の幼い子供を育てているが、長男は父親の不在で不安定になり、末っ子が薬を誤飲して病院で処置を受ける事故も起こる。一方、アフガニスタンの地元住民との関係もクラウスにとって重荷になっていく。住民のなかに敵が紛れている可能性もあり、警戒を怠ることはできない。部隊は日中に巡回を行うが、タリバンは夜に住民たちの前に現れ、ともに戦うように迫る。住民たちは、駐留軍に協力していることがわかれば命を奪われかねない。そして、クラウスが保護を求める住人に対応しきれなくなったとき、事態が悪い方へと転がりだす。

 視認による敵兵の存在確認だけが争点となる法廷と戦場の現実には大きな開きがある。リンホルム監督は、敵が見えず、住人が人質にとられているような戦場で、重圧にさらされ、負担や犠牲を強いられる個人の姿を浮き彫りにしている。

○『ある戦争』
監督:トビアス・リンホルム
公開:10月8日(土)より、新宿シネマカリテ他にて全国順次ロードショー
(C) 2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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