コラム

電力会社の「取材圧力」は幻か

2011年04月19日(火)09時57分

 福島第一原発の放射能漏れ事故をきっかけに、特にツイッター上でメディアに大量の広告を出稿する電力会社による取材圧力の有無をめぐる論争が果てしなく続いている。「ある」のか、「ない」のか。もはや神学論争的になりつつあるが、この議論に対する筆者なりの結論は「両方正しい」だ。

 今から15年近く前のこと。全国紙記者として石川県に勤務していた筆者は、能登半島の先端での立地をめぐって推進派と反対派がせめぎあっていた珠洲原発の取材をしていた。原発が争点の市長選挙に高裁が「無効」の判決を出し、やり直し選挙が行われたのだが、その過程で反原発派から「電力会社がこっそり用地買収を進めている。しかも暴力団がらみで」というネタを聞き込んだ。

 もし本当なら確実に1面トップの大特ダネだ。当然土地の登記簿を取ったり、予定地周辺で聞き込みをしたりとしばらく取材に動いたが、裏は取れずじまいだった。結果的にこちらの力量不足で「幻の1面トップ」に終わったわけだが、仮に裏を取って記事を出稿することになっていたとしても、電力会社からの「圧力」はなかった(仮にあったとしても、社としてはねつけていた)だろう、と思う。なぜならその数年後、朝日新聞がこのネタの裏を取って1面トップで報じたからだ。

 ツイッター上で多くの現役記者が「圧力はない」と証言しているのは、筆者のこの実感と一致する。関西電力と中部電力が計画していた珠洲原発のほか、稼働中の北陸電力志賀原発を抱える石川県に3年半勤務したが、原発取材で電力会社から要求をされたことは一度もなかった。

 朝日新聞記者で報道ステーションのコメンテーターもしている一色清氏が、4月17日付朝刊別刷のGLOBEで興味深いコラムを書いている。テーマは「コメントの変更」だ。

 3月30日の放送で、一色氏は「原発によって土壌が汚染される可能性がある。こうしたことで作付けが減ると、政府は減反政策を考え直さなければならなくなる」というコメントを考えた。ところが、番組の担当デスクやスタッフから表現を変えて欲しいと求められる。彼らは周辺の農作物の風評被害が大きくなる可能性がゼロではない、と考えたからだ。一色氏はこう書いている。

 

「原発によって土壌が汚染されている」という確定的な事実として視聴者は受け止めるかもしれない。そういわれれば、杞憂だと切り捨てる自信はなかった。私は、予定していたコメントからその部分を抜くことにした。

 一色氏と番組スタッフは東電や政府の「圧力」に屈してコメントを変えたわけではない。一色氏自身がコラムで指摘しているが、「テレビは『情』のメディア」であり「空気を意識しないといけないメディア」であることがその最大の理由だ。

 報道ステーションの視聴者数は1000万人だという。新聞も全国紙は多くが数百万単位だ。「消費者」の多さゆえに、テレビや新聞はその最大公約数を取ることを求められる。極力多くの読者・視聴者を満足させることを、裏返せば読者・視聴者からの非難を極力少なくすることを求められる。

 その「空気」がメディア内を支配し、ひいては個々の記者の圧力となる。日々の取材でもちろん個々の記者が圧力を受けることもある。ただ露骨にそんなことをされれば人は反感を持ち、ときに反抗する。頭の回る被取材者は、あからさまな方法など取らずもっとクレバーにやった方が効果的だと知っている。

 電力会社がメディアに大量の広告出稿をしているのはまぎれもない事実だ。それがただ善意から行われているはずもない。電力会社の狙いは、むしろ原発容認という「空気醸成」にあったのではないか。福島の事故があってなお、原発容認が過半数を超えるという世論調査結果を見れば、その効果は明らかだ。

 現在の報道の現場を支配しているのは、露骨な圧力でなく「空気」だと思う。この「空気のメカニズム」を読み取ることなしに、「御用記者」の気に食わない報道を何でもかんでも圧力のせいにしていては、結局は何も分からないし何も変わらない。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏なら強制送還急拡大か、AI技術

ビジネス

アングル:ノンアル市場で「金メダル」、コロナビール

ビジネス

為替に関する既存のコミットメントを再確認=G20で

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型ハイテク株に買い戻し 利下
MAGAZINE
特集:トランプ暗殺未遂
特集:トランプ暗殺未遂
2024年7月30日号(7/23発売)

前アメリカ大統領をかすめた銃弾が11月の大統領選挙と次の世界秩序に与えた衝撃

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理由【勉強法】
  • 2
    BTS・BLACKPINK不在でK-POPは冬の時代へ? アルバム販売が失速、株価半落の大手事務所も
  • 3
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子どもの楽しい遊びアイデア5選
  • 4
    キャサリン妃の「目が泳ぐ」...ジル・バイデン大統領…
  • 5
    地球上の点で発生したCO2が、束になり成長して気象に…
  • 6
    カマラ・ハリスがトランプにとって手ごわい敵である5…
  • 7
    トランプ再選で円高は進むか?
  • 8
    拡散中のハリス副大統領「ぎこちないスピーチ映像」…
  • 9
    中国の「オーバーツーリズム」は桁違い...「万里の長…
  • 10
    「轟く爆音」と立ち上る黒煙...ロシア大規模製油所に…
  • 1
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラニアにキス「避けられる」瞬間 直前には手を取り合う姿も
  • 2
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを入れてしまった母親の後悔 「息子は毎晩お風呂で...」
  • 3
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」、今も生きている可能性
  • 4
    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…
  • 5
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理…
  • 6
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子…
  • 7
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 8
    「失った戦車は3000台超」ロシアの戦車枯渇、旧ソ連…
  • 9
    「宇宙で最もひどい場所」はここ
  • 10
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 5
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラ…
  • 6
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 7
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを…
  • 8
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」…
  • 9
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 10
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story