コラム

菅直人は「主役」になれるのか

2010年06月04日(金)15時17分

 小説家、有吉佐和子の代表作の1つ『複合汚染』(新潮社)に次のくだりがある。 



 吉武さんが、また私の耳に笑いながら囁いてきた。
「いましゃべっている男の子は菅さんっていうんだけど、市川房枝がどうしても駄目だったら有吉佐和子を勝手に立候補させようって言っていたのよ」
「冗談でしょう」
「いえ、本気ですよ、彼らは」
 私は背筋がぞうっとした。それが本当なら危いところだった。それまで私は新聞で青年グループの存在を知り、親愛の情を寄せていたが、これは気をつけなくてはいけない。彼らに好かれたら私の作家生活が危うくなる。吉武さんのおかげで、私は彼らに対する基本姿勢というものが出来た。私は彼らから嫌われる存在にならなければならない。そう思いきめた。

「菅さん」はほかならぬ菅直人である。27歳だった菅氏がリーダーを務めた青年グループは、1974年の参院選で当時81歳の婦人運動家、故市川房枝を半ば強引に立候補させる。市川は当選し、菅氏も76年の衆院選に立候補するが落選。その後2回の落選を経て、80年の衆院選で初当選した。

 36年後、菅青年は菅首相になった。「市民派」首相は日本では初めてだ。筆者は菅氏が厚生大臣として薬害エイズ問題の追及で名を馳せていた96年に、その記者会見に出たことがある。ボソボソと話すあのいつもの口調で、正直魅力的な人物には見えなかった。

 ただ市民派出身のクリーンさと、当時まだ鉄の団結力(と縄張り意識)を誇っていた日本の官僚機構に1人で切り込み成果を挙げた姿に、日本政治が今後向かうベクトルと合っている、とも感じさせられた。自民党国会議員の元秘書に「いつか首相になるかも」と言ったら鼻で笑われたが、「クリーンさ」と「政治主導」は14年後の日本政治でもっとも必要とされるものになった。だからこそ、菅氏は首相に選ばれた。

 菅氏の本質を理解するうえで、政治の師匠だった市川房枝の存在は欠かせない。市川は戦前、男女平等と婦人参政権獲得を目指した運動家として知られているが、戦争色が濃くなると、婦人の権利拡大のため戦時体制に協力した人物でもある(お陰で終戦後、市川はGHQによって公職追放された)。戦後は麻薬撲滅のため右翼やヤクザとも手を組んだ。

 この柔軟性、言い換えれば目的のために手段を選ばないところは菅氏にも引き継がれていると思う。非自民の連立政権が崩壊したあと、自社さ連立政権を組んで厚生相に就任したこともそうだし、市川房枝を無理やり擁立したこともそうだ。単なる「清廉居士」ではない。

 とはいえ、政治家としての突破力と、首相としての資質は必ずしもイコールではない。内政から外交・防衛にいたる幅広いテーマをバランスよく、かつミスなく掌握するゼネラリスト的能力が求められる首相の職務が、もっぱらスペシャリストだった菅氏に務まるのかどうか。

 個人的には、菅氏は凡庸な主役でなく名脇役こそふさわしい、と思うのだが。

――編集部・長岡義博

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ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

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