コラム

遊郭でほぼ完結する『幕末太陽傳』は今も邦画のベスト10に入る

2021年09月30日(木)20時05分
『幕末太陽傳』の佐平次

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<緻密なストーリーと軽快なタッチ──笑いの後にやってくるラストの疾走は、難病で他界した川島雄三監督にとって必然だったかもしれない>

『幕末太陽傳』の舞台は江戸時代末期の品川の遊郭。維新まであと6年。でもオープニングは、撮影時である1957年の品川の街の風景だ。いわゆる赤線エリア。焼け跡の気配はさすがにないが、闇市的な雰囲気は残っている。米兵にすり寄る小柄な日本人女性たちのカットが、遊郭の重ね合わせであることを暗示する。

日本が国連に加盟して「もはや戦後ではない」が流行語になった1956年の翌年に、この映画は公開された。そして映画の時代設定は江戸期の終わり。この2つに共通することは、一つの時代の終わりと、新しい時代の始まりだ。

品川の遊郭を代表する一軒である相模屋に友人たちを誘って豪遊する佐平次(フランキー堺)は、友人たちを帰してから店に一文なしだと打ち明けて、自らが借金の形となって居残ることになる。

古典落語の『居残り佐平次』をモチーフにしていることは明らかだが、『品川心中』『芝浜』『らくだ』など他の演目も取り入れて1つのストーリーにしているらしい。

らしい、と書いた理由は、僕は古典落語に素養をほとんど持たないから。ない袖は振れない。でも落語のうんちくは枝葉の要素だ。知らなくても十分に楽しめる。本作が邦画のベスト10に必ずのようにランクインする理由の1つは、フランキー堺の圧倒的な演技力と存在感だ。とにかくテンポとキレがすさまじい。ジャズドラマー出身ゆえか、そのグルーブ感は半端じゃない。

あえてこの映画の欠点を挙げれば、高杉晋作を演じる石原裕次郎があまりに凡庸であることだ。特にフランキー堺とのからみのシーンでは、それが(残酷なほど)如実に表れる。基本的には相模屋を舞台にした「グランドホテル方式」。キャストのほとんどは(ラストシーンなど一部の例外はあるが)ほぼ外には出ない。昼か夜かも判然としない遊郭の中だけで物語は進行する。

しかしその緻密なストーリーと軽快なタッチが、終盤で大きく変調する。佐平次を墓場にいざなう役回りの杢兵衛大尽との対話のシーンは、それまでの撮影や編集と全く違う。何かを宣言するかのような唐突なカットバック。佐平次がずっと咳をしていた伏線が不気味な影となって立ち現れる。そこに笑いはない。いや笑い過ぎた後だからこそ、佐平次の暗い表情がより強く印象付けられる。若い頃から難病を患い45歳で他界した川島雄三監督にとって、死に彩られたこのラストは、ある意味で必然であったのかもしれない。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イラン主要濃縮施設の遠心分離機、「深刻な損傷」の公

ワールド

欧州委、米の10%関税受け入れ報道を一蹴 現段階で

ワールド

G7、移民密輸対策で制裁検討 犯罪者標的=草案文書

ワールド

トランプ氏「ロシアのG7除外は誤り」、中国参加にも
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 3
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 4
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 7
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    コメ高騰の犯人はJAや買い占めではなく...日本に根…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story