コラム

『翔んで埼玉』が悔しいほど痛快な理由──ギャグとテンポ、そして実名の威力

2021年07月01日(木)17時25分
二階堂ふみとGACKT

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<邦画だけでなくテレビドラマも含め、日本の表現分野はとにかく実名を隠す。実話がベースでも組織や個人の名前を姑息に変える。その点、『翔んで埼玉』は振り切っている>

2019年公開の『翔んで埼玉』は話題のコミックの実写版だ。でも劇場まで観に行こうとは思わなかった。理由の1つは(特にシネコン系の場合)アニメ全盛で、オリジナル脚本よりコミックや小説の実写化が幅を利かせて、アイドル系タレントの出演が前提になっている今の邦画状況に心底うんざりしているからだ。

大手映画会社の偉い人たちや製作者を一方的に責めるつもりはない。だって観客が求めているのだ。需要があるから供給がある。つまり市場原理。これに尽きる。もちろんアニメや実写版にも秀作はある。でも安易過ぎる。そう思っていた。しかし5月の連休中に配信を観てしまった。

......言い訳はここまで。本作の感想は一言に尽きる。むちゃくちゃ痛快だった。不明を恥じる。監督は武内英樹。『テルマエ・ロマエ』『のだめカンタービレ』も監督している。どちらもコミックの実写化。しかも製作にはフジテレビが関わっている。出資してくれる。羨ましい。そして妬ましい。本当なら取り上げたくない。でも面白いから仕方がない。

テンポやギャグのセンスが一級であることは確かだが、この作品が痛快である最大の理由は実名だ。映画の舞台は出身地や居住地によって激しい差別が行われている日本。埼玉出身の主人公は、同様に差別されている千葉や茨城出身者たちと連帯して、自分たちを不当に統治する東京に対してレジスタンスの闘いを挑む。

これは邦画だけではなくテレビドラマなども含めての傾向だが、日本の表現分野はとにかく実名を隠す。実話をベースにした作品でも、組織や個人の名前を姑息に変える。話題になった『Fukushima50』でも登場する政治家や関係者の固有名詞はほぼ示されず、東京電力は東都電力に変えられていた(同じく原発事故を描いて、政治家は全て実名にした『太陽の蓋』には、ほかの機会で触れたい)。

ところがハリウッドの場合、『バイス』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』『ブッシュ』『ニュースの真相』『フェア・ゲーム』などここ10年ほどの作品だけでも、政治家や大企業やメディアの固有名詞をしっかりと示す。その上で批判する。あまりにも映画の風土が違う。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

EUとG7、ロ産原油の海上輸送禁止を検討 価格上限

ワールド

欧州「文明消滅の危機」、 EUは反民主的 トランプ

ワールド

米中が閣僚級電話会談、貿易戦争緩和への取り組み協議

ワールド

米、台湾・南シナ海での衝突回避に同盟国に負担増要請
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」が追いつかなくなっている状態とは?
  • 2
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い国」はどこ?
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 5
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 6
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 7
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 8
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 9
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 10
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 1
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 2
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 5
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 6
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 7
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 8
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 9
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 10
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story