コラム

石井聰亙『シャッフル』は特別で別格──走るチンピラと追う刑事、全力疾走の舞台裏

2021年05月02日(日)11時50分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<デビュー直後の武田久美子とプロデューサーの荒戸源次郎以外は、みなほぼ無名。準主役の刑事を頼まれた僕は、監督とカメラを乗せた中古ハイエースをひらすら追い続けた。最後には...>

刑事役をやってほしいのです、と石井聰亙(現・岳龍)は言った。台本はその前にもらっていた。刑事ならば準主役だ。ラストに腹を至近距離から銃撃されて死ぬ。そのシーンを思い浮かべながら僕は、目を閉じて死にたいのです、と石井に言った。

石井は首をかしげる。意味が分からないようだ。僕は説明した。テレビドラマなどではこうした状況でよく目を開けたまま無念そうに死にますよね。ずっとあれが嫌でした。死ぬときは目を閉じるべきです。説明しながら自分でも何が言いたいのか分からなくなった。でも石井は少し考えてから、分かりました。その演技はお任せします、とうなずいた。

『シャッフル』の制作は秋田光彦で撮影は笠松則通、助監チーフは緒方明。キャストは中島陽典と室井滋、武田久美子に荒戸源次郎と森達也。

デビュー直後の武田久美子とプロデューサーの荒戸源次郎以外は、みなほぼ無名だった。ネットの映画情報サイト「映画.com」でこの映画は、以下のように紹介されている。

「自分を裏切った女を殺したチンピラと彼を追う刑事が、全編にわたりひたすら全力疾走を続ける姿を映し出す。壮絶なスピード感とエネルギーの中、流血のクライマックスへと突き進んでいく......」

銃を手にしたチンピラと彼を追う刑事は市街地を走り続ける。ロケの8割は走っていた。先行する中古ハイエースのバックドアを開けて小さな三脚に固定した16ミリカメラのファインダーをのぞく笠松の横で、石井はほぼ無言だった。だからハイエースのスピードに合わせて走り続けるしかない。今にして思えば、それが石井の演出プランだったのだろう。極限まで走らされて体力がゼロになりかけた中島と僕は、本気で苦悶しながら鉄柵を飛び越え、相手の銃撃をかわし、とにかく走り続けた。

ようやくチンピラを緊急逮捕した刑事は、取り調べのために警察署に向かう。もちろんリアルではない。制作部が探してきた廃墟のような建物だった。ほぼ順撮りの撮影はこの日でクランクアップ。多くのスタッフとキャストが集結した。阪本順治が演じていたのは警官AだったかBだったか。手塚眞が現場にいたことも記憶している。

最後に銃撃されて絶命する僕は特殊効果スタッフから、シャツの下に女性用のナプキンを当てられた。その上に火薬を仕込んだ弾着をガムテープで固定する。血のりを入れるのはコンドーム。衣装は一着のみ。つまり一発勝負だ。NGは許されない。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国粗鋼生産、5月は前年比-6.9% 政府が減産推

ワールド

中国の太陽光企業トップ、過剰生産能力解消呼びかけ 

ワールド

米ミネソタ州議員銃撃、容疑者逮捕 標的リストに知事

ビジネス

米FRB、金利は据え置きか 関税問題や中東情勢不透
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story