コラム

今度は元慰安婦の賠償請求却下、韓国では一体何が起こっているのか?

2021年04月22日(木)11時16分

この過程において、韓国の司法府は裁量の幅を大きくし、例えば、盧武鉉政権時の首都移転問題において、憲法裁判所が「ソウルが首都である事は大韓民国の不文憲法である」という判決を出してこれを阻止した事に典型的に表れた様に、時に行政府の判断をも大きく揺るがすような判断を頻繁に下すようになった。つまり、韓国においては司法府が法律の解釈を大胆に変え、「ゴールポストを移動」させる事は、国内政治においても日常茶飯事なのである。そして日韓関係における「ゴールポストの移動」もまた、一面ではこの様な韓国の法文化の産物であり、またそれが最も典型的に表れた現象なのである。

とはいえ、この様な状況は、当然の事ながら、この国における法的慣行を大きく不安定化させることとなった。そして今、韓国におけるもう一つの社会的変動が、司法府の判断にさらに大きな影響を与えつつあるように見える。それは韓国社会のイデオロギー的分断である。

2003年、盧武鉉政権による新与党、ウリ党の結党、以降、韓国の政治的空間は進歩と保守に大きく二分されている。そして、今日、両者のイデオロギー的対立は激しさをますばかりであり、韓国人個々においても各々の進歩派或いは保守派としてのイデオロギー的アイデンティティを明確にする人が多くなってきている。この様なイデオロギー的対立は社会を大きく引き裂く事となり、それは保守・進歩両勢力の「岩盤支持層」となって表れる。ソウル・プサン両市長選挙でようやく本格的なレイムダック現象に突入しつつあるとはいえ、それまでの文在寅政権の支持率が、歴代の政権と比べて遥かに安定していたのも、この「岩盤支持層」に支えられてきたからである。つまり、今の韓国はトランプ政権後のアメリカと同じく、社会が左右のイデオロギーに引き裂かれ、分裂し、対立しあう状況になっているのである。

「ゴールポスト」を左右から押し合う

そして、当然の事ながら、この様な状況は司法府においても影響を与えざるを得ない。そもそもアメリカに似た大統領制の下、韓国における大法院や憲法裁判所といった主要司法機関への裁判官の任命は強い政治色を以て行われる。この様な状況においては裁判官もまた自身、進歩と保守の両派に色分けされるのが通常であり、その色分けは彼ら自身のアイデンティティにも反映されていく事になる。異なるイデオロギー的アイデンティティは、裁判官達の間に異なる「時代的要請」と「望ましい結論」を意識させ、異なる判決を生み出す事になる。

こうして韓国においては、司法府もまた進歩と保守の二つのイデオロギーに分断され、彼らは自らのイデオロギーに忠実に、全く異なる法的解釈と判決を以て対峙する事になる。そう、今日の韓国では大きく対立する進歩と保守の二大勢力が互いのイデオロギーを抱えて、「ゴールポスト」を左右から懸命に押し合う事となっているのである。そして、このイデオロギー的対立の中においては、日韓関係に関わるイシューもまた、彼らにとってのイデオロギー的議論の対象の一つでしかなくなっている。

イデオロギー的分断がこの国の司法をどこに導き、また、日韓関係にどの様な影響を与えるのか。反日対親日といった古いフレームワークを離れて、冷静に観察する必要がありそうだ。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


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