コラム

イギリスのワクチン「優先確保」にEUが激怒、アストラゼネカの言い分は?

2021年02月09日(火)19時25分

それでも、EU加盟国の中では、政治家も市民も「英国工場でつくられたワクチンを英国国内にまわすのはわかる、仕方がない」というように冷静で、イギリスに同情的な見方が圧倒的多数派だろう。

しかし、欧州大陸のEU内の工場でつくられたワクチンすら、秘密裏にイギリスにまわしているとしたら、話は別である。だからEU側は激怒したし、「そうだとしたら、迂回地になっているのは北アイルランドにちがいない!」となってしまったのだ。

いかにブレグジット交渉で、EU側とイギリス政府との信頼関係が無くなってしまったかわかる、象徴的な出来事だというべきだろうか。

この説が正しいとすれば、すべての状況に納得がいく。

アストラゼネカの弁明

アストラゼネカのCEO、パスカル・ソリオ氏(フランス人)は一生懸命弁明していた。

フランスの24時間ニュース局『BFM』の報道によると、「ネットワークの中で最も生産性が低い拠点は、欧州に供給している拠点であり、正直、わざとやっているわけではない」「最高のサイトでは、生産性の低いサイトのバッチあたり3倍の量のワクチンを生産してきた」と言っていた。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、欧州工場での生産が遅れているのは、フランスのノバセップグループに属するベルギーの生産拠点だという。細胞培養の収量が予想を下回っているためだと報道していたという。

この生産量は、アストラゼネカの予想を3分の1、下回るらしい。ワクチンの収量は、数週間かかる播種のステップに応じて、サイトによって大きく変化するそうだ。

他の理由としては、製造工程を複雑にして危険を伴うものにしているのは、下請けを使ってより多く、より早く生産する義務があるからだという。

「技術移転と呼ばれることをしなければなりませんでした。そこで、それぞれのパートナーのところに行って、プロセスのトレーニングをします。ものづくりの研修です。中には初めての人もいます。彼らはワクチンの作り方を知らないので、他の人と比べても効果が薄いのです」

いきなり900万本も追加

ところがである。

EUが強硬に一致団結して怒り、ドイツやイタリアの政府など、訴訟も辞さない構えを見せた。そして、EU内でつくられているワクチンに対して、規制と透明性のメカニズムをつくることにした。

そうしたら、同社はあっさり900万用量も余計にEUに渡すことになった。それでも契約数の8000万用量には全然足りないが。

ここで疑問を感じるのは当然だろう。

そんなにいきなり、物慣れない初めての人たちの腕があがるのか。そんなに早く、工場の生産数は1週間くらいで向上するのか。できるのなら、なぜ今までやらなかったのか。

効率よく生産していた英国工場でつくられたワクチンを、EUにまわしただけなのだろうか。

しかし、ここで「そもそも論」が生じる。

それほど欧州工場の生産が乏しいのなら、EUはイギリスとのケンカに対して、「EUと購入契約を結んだ製薬会社がワクチンを域外へ輸出する際は、申告と許可が必要」などというメカニズムをつくる必要がないではないか。(EU側はこれを「ワクチン輸出の透明性の欠如の問題に対応する」と説明している。後述)。

プロフィール

今井佐緒里

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出合い、EUが変えゆく世界、平等と自由。社会・文化・国際関係等を中心に執筆。ソルボンヌ大学(Paris 3)大学院国際関係・ヨーロッパ研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。編著に「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(新潮社)、欧州の章編著に「世界が感嘆する日本人~海外メディアが報じた大震災後のニッポン」「世界で広がる脱原発」(宝島社)、連載「マリアンヌ時評」(フランス・ニュースダイジェスト)等。フランス政府組織で通訳。早稲田大学哲学科卒。出版社の編集者出身。 仏英語翻訳。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米PCE価格指数、インフレ率の緩やかな上昇示す 個

ワールド

「トランプ氏と喜んで討議」、バイデン氏が討論会に意

ワールド

国際刑事裁の決定、イスラエルの行動に影響せず=ネタ

ワールド

ロシア中銀、金利16%に据え置き インフレ率は年内
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 5

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 6

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 7

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    「性的」批判を一蹴 ローリング・ストーンズMVで妖…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story