インタビュー:プラザ合意40年、行天元財務官の後悔とメッセージ(中)

大蔵省(当時)国際金融局長としてプラザ合意の交渉に携わった三菱UFJ銀行名誉顧問の行天豊雄氏(94、写真右)は1985年秋以降、円の急騰に気をもむことになる。1987年5月、ワシントンで撮影(2025年 ロイター/Anthony Hayward)
Tamiyuki Kihara Makiko Yamazaki
[東京 22日 ロイター] - 大蔵省(当時)国際金融局長としてプラザ合意の交渉に携わった三菱UFJ銀行名誉顧問の行天豊雄氏(94)は1985年秋以降、円の急騰に気をもむことになる。
合意直前に1ドル約240円だった為替相場は、87年1月には150円を切るまでに円高が進行。「こんなことでいいのか」。国内にはそんな空気が急速に広がっていったという。
<甘かった読み、「勘」に頼らざるを得ず>
果たして交渉過程でここまでの事態を想定していたのか。行天氏は合意後の相場について「(交渉の中で)想定する数字は出ていた。だいたい平均して10%とか15%ぐらい(ドル高が)是正されればいいんじゃないかという感じではあった」と明かした。
ただ、「どこまでそれが実際のマーケットの分析・観察に基づいていたかと言われれば、ちょっとやっぱり甘かったとは言えるでしょうね」とも振り返る。当時、主要5カ国(日、米、フランス、英国、西ドイツ)の交渉は極秘裏に行われた。マーケットの専門家に助言を求めることもかなわず、協議の中でも「率直に言って、あんまり専門的な話はなかった」という。
では、どうやって想定水準を決めたのか。行天氏は「まあ、勘でしょうな」と語った。さらに、「みんなが事前に話していた10%や15%っていうのはあっという間に達成されたが、お粗末な話は、予想外のことが起こったときどうするかという話は全くなかった。だから(円急騰への)心の準備も、実際の準備も全く行われてなかった」とも述べた。
<金融緩和に偏重、失われた40年>
輸出関連産業を中心に大きな打撃を受けた日本経済は、急激な円高への世論の反発に包まれていく。円高不況を恐れた日銀は公定歩合を引き下げ、対症療法的な金融緩和策を実行。溢れたお金は不動産や株式になだれ込み、その後のバブル崩壊につながる。行天氏は当時から現在までを「失われた40年」と表現した。
「あの時どうしていればバブルは防げたか」との問いに、行天氏は少し考えて「理想論を言えばね、円高を止めるんじゃなくて、輸出産業に偏った日本の成長モデルを変えるべきだったんじゃないか」と語った。「輸出一本やり」の産業構造だったからこそ、米国の保護主義を必要以上に恐れることにもつながったと考えるからだ。
プラザ合意から40年、奇しくも現在トランプ米大統領が貿易赤字解消を目指し各国との関税交渉に臨んでいる。次回、行天氏が見るトランプ政権や基軸通貨としてのドルの持続可能性、今後の日本経済のあるべき姿について聞く。
(鬼原民幸、山崎牧子 グラフィックス作成:田中志保 編集:橋本浩)
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