アングル:戦火を逃れ食料求め、転々と避難続けるガザの2家族の記録

パレスチナ自治区ガザの北部と南部に住んでいた2つの家族、バクロン家とバリーム家は、21カ月にわたる戦争の中でがれきに覆われたガザ各地を転々とし、イスラエル軍による空爆を避け、食料を求めて避難を続けた。写真は、ガザのテントで料理をするニザール・バクロンさん。17日撮影(2025年 ロイター/Mahmoud Issa)
Hatem Khaled Nidal al-Mughrabi
[ガザ/カイロ 24日 ロイター] - パレスチナ自治区ガザの北部と南部に住んでいた2つの家族、バクロン家とバリーム家は、21カ月にわたる戦争の中でがれきに覆われたガザ各地を転々とし、イスラエル軍による空爆を避け、食料を求めて避難を続けた。
彼らは友人や親戚の家、学校の教室、テントなどに身を寄せ、イスラエル軍が避難命令を出すたびに移動を余儀なくされた。
戦争前、ニザール・バクロンさん(38)と4歳年下の妻アマルさんは、ガザ東部の人口密集地シュジャイヤで幸せに暮らしていた。長男は12歳、末っ子はまだ乳児だった。ロイターが確認した写真には、家族のパーティーや海辺での1日が写っている。
2023年10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃した。ニザールさんは「これは我々にとって良いことにはならないと直感した」と語った。彼らは翌日に家を出て、ガザ南部ザフラにあるアマルさんの実家に避難したという。
5日後、イスラエルはガザ北部の住民に対し南部への移動を命じ、10月27日には地上侵攻を開始した。
イスラエルは軍事作戦を計画している地域で住民に避難を指示してきたが、その期間中でも他の地域を空爆することがあった。イスラエルはこうした避難命令が民間人保護のためだとし、一方でハマスの戦闘員が民間人に紛れている場合には場所を問わず攻撃すると主張している。
ハマスは、民間人を盾にしているとの指摘を否定している。また、パレスチナ側は、イスラエルが住民の強制移動を目的として避難命令を出していると非難している。
バクロン家はガザ中部の古い難民キャンプ、ヌセイラトに向かい、アマルさんの親戚が所有するアパートに5カ月間身を寄せた。
戦争初期はイスラエルによる空爆が特に激しかった。ハマスが管理するガザ保健省によれば、24年3月末時点での死者数は3万2845人に達し、現在は5万9000人を超えたとされる。
食料や燃料は高騰し、援助もほとんど届かなくなった。4月にイスラエルが再び避難命令を出すと、バクロン家はさらに南にあるエジプト国境沿いのラファへ向かった。そこではまだ食料が手に入った。
彼らは車とトレーラーにマットレス、衣類、調理器具、ソーラーパネルなどを積み込み、廃墟に囲まれた道路を約24キロ移動した。
ラファでは国連の学校の教室に身を寄せ、ニザールさんの兄弟2人とその家族と合わせて約20人で共同生活を送った。蓄えはすぐに底をついた。
数週間後、再びイスラエルの避難命令が出され、数キロ離れたハンユニスへ移動し、またしても混雑した教室で寝泊まりした。
1月、停戦が実現したことで、バクロン家は土地を所有するヌセイラトへ北上した。損壊した建物の一室を片付けて生活を始めた。
「状況が良くなると思った」とニザールさんは語る。
しかし3月18日に停戦は崩壊し、その2日後、ニザールさんの姉、姉の夫、姪2人がハンユニスでの空爆で死亡した。
イスラエルの軍事作戦が激化する中、家族はガザ市へ避難。中心部のウェフダ通りの建物脇にテントを張り、初めてテントでの生活を余儀なくされた。
5月25日、家族が眠る中、ニザールさんは外で電話をしていた。そこへ空爆が直撃し、建物は崩壊した。
がれきをかき分けて救出を試みたが、娘のオリナさん(10)と息子のレブヒさん(8)はすでに息絶えていた。妻と長男は負傷し、乳児のユセフ君は脚を骨折した。
車も空爆で損傷し、ニザールさんはもう移動する術はないと語る。
国連によれば、ガザの土地のほぼ90%がイスラエルの避難命令または軍事管理区域に指定されており、住民は残された2つの小さな地域に押し込められ、食料不足が深刻化している。イスラエルは、援助物資がハマスに流れるのを防ぐためとして制限の正当性を主張している。
世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は24日、ガザが「人為的な飢餓」に直面していると指摘した。
顔にあざが残り、腕にギブスをつけている妻のアマルさんは、2人の子どもの死に言及し、こう語った。「私の人生は変わった。すべてを持っていた生活が、避難によって何もかも失われた」
■終わらぬ恐怖
マジェド・アル・バリームさん(32)は、戦前、ハンユニス東の町バニスヘイラで教師をしていた。妻サミアさん(27)との間には2歳の息子がおり、鉢植えの並ぶ2階建ての家に暮らしていた。
戦争初期、イスラエルの攻勢はガザ北部に集中していたため、家族は自宅に留まった。しかし24年初めにイスラエル軍がハンユニスに進攻すると、家族は避難を決断。後に自宅は破壊された。
「努力と汗で建てた家だった」とマジェドさんは語り、ロイターに廃墟となった自宅の写真を見せた。
一家は母アリヤさん(62)と3人の姉妹と共にラファへ避難。最年少のラファさん(19)はダウン症がある。
ハンユニスを離れる直前には、姉の夫が銃撃で死亡。姉の息子ジュード君(9)は車椅子を使っている。
当初は、国連機関が提供したテントでラファ北部のナスル地区に滞在した。
3カ月後、再び避難命令が出され、一家は近隣の農村地帯マワシへ移動。そこでは避難民キャンプが拡大していた。
イスラエル軍はマワシを安全区域に指定していたが、夏を通してこの地域を空爆し、多くの死者が出たと現地保健当局は報告している。イスラエル側は、同地域に潜む武装勢力を標的にしたとしている。
3月の停戦終了以降、バリーム家はバニスヘイラ、ハンユニス、マワシを転々とし、その回数は数え切れないとマジェドさんは語る。
「命の危険を感じるので、避難命令が出ればすぐに従っている」
がれきだらけの道を車椅子で移動するのは困難を極める。5月の移動時には、ジュード君と共に家族とはぐれ、マワシまでの8キロを4時間かけて進んだという。
「銃声や爆音が響き、心身ともに疲弊した」
現在、家族はマワシのテントで暮らし、貯金は尽きた。慈善団体の炊き出しに頼り、余分な食料を買う余裕はほとんどない。
「もう避難にも飢えにも疲れた」と語るのは、マジェドさんの母アリヤさんだ。
先週、マジェドさんは小麦粉を買うためバニスヘイラへ向かったが、近くに着弾した砲弾の破片で腹部に重傷を負った。破片は病院で摘出されたが、体力は著しく衰えた。
「私たちが経験していることに耐えられる人などいない。戦争と飢餓、殺りく、破壊、そして避難の2年だった」
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