コラム

埼玉県虐待禁止条例案の裏にある「伝統的子育て」思想とは

2023年10月12日(木)22時21分

大きな批判にあったこの条例案だが、この条例案を擁護する人もいる。アメリカなど諸外国では、子供の留守番禁止や登下校の親の送り迎えは常識だというのだ。確かにアメリカの一部の州では留守番禁止年齢を法律として定めるなど(多くは12歳まで)、親の「放置」に厳しい措置をとっており、それと比較すれば決して異常な条例案というわけではない。しかしながら、銃社会であり、治安の面から多くの心配をせざるを得ないアメリカの状況と、日本の状況を単純に比べることはできない。

また、アメリカはベビーシッター文化がある。2019年の民間企業の調査によれば、アメリカのベビーシッター利用率は5割を超えているのに対し、日本のそれは1割にも満たない。フランスも子供の留守番に厳しい国の一つだが、ベビーシッターや保育サービスに補助金が出る。さらに、アメリカのベビーシッターは、高校生によるアルバイトによっても担われている。一方、埼玉県の改正条例案では高校生の子供との留守番も禁止とされており、アメリカよりも制約が強いといえる。

厳しい「放置」規制は過保護という指摘も

登下校の親の送り迎えや留守番禁止が常識となっている国でも、そのやり方の是非については議論がある。虐待やネグレクトを防止する必要があるのは当然として、一時も子供を一人にさせておかず、どこへ行くにも大人を同伴させる子育ては過保護という意見も近年では登場している。たとえばアメリカのユタ州では2018年に留守番規制が緩和されることになるなど、より柔軟な子育てを認める動きもある。

ドイツでは、日本語の「鍵っ子」に相当する言葉としてSchlüßelkind(Schlüßel=鍵、Kind=子供)という単語がある。1960年代、家族形態が多様化していく時代に登場し、日本と同じく当初は「かわいそうな子供」というニュアンスで用いられていたが、最近の研究や調査では、Schlüßelkindは学力の低下や非行に繋がりやすいという偏見が見直され、むしろ子供の自立にとってよい面もあると指摘されている。

このように、「子供たちの安全」を一番に考えたとしても、何をどこまでどうするべきかは、治安やサポート体制の有無を含め、国や地域、家庭の事情によって異なる。それを条例で一律に禁止事項を決めるのは、やはり乱暴だったいうことになる。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

WHO、成人への肥満症治療薬使用を推奨へ=メモ

ビジネス

完全失業率3月は2.5%に悪化、有効求人倍率1.2

ワールド

韓国製造業PMI、4月は約2年半ぶりの低水準 米関

ワールド

サウジ第1四半期GDPは前年比2.7%増、非石油部
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 7
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 8
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 9
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 10
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story