コラム

「あの」河瀬直美監督とは思えない繊細さでマイノリティ選手にスポットライトを当てていた東京五輪『SIDE:A』、よけい注目の『SIDE:B』

2022年06月23日(木)16時28分

私は河瀨直美監督の他の作品を観たことがなく、また映画の映像表現の芸術性についての善し悪しもよく分からない。関心があるのは、オリンピックという政治的なイベントの記録映画として、この作品が持つ政治性についてだ。

オリンピックの公式記録映画は何を撮ってもオリンピックを肯定する映画なのではないか、という根本的な問題を括弧にいれて、率直な感想を述べれば、この記録映画は明確にマイノリティにスポットライトを当てた作品なのだ。

映画では、最初と最後こそ(露骨なアリバイづくりのように)男性がメインの日本柔道の話が扱われているが、その他の部分で取り上げられる選手たちのほとんどは女性であり、そのうち約半数はアフリカ系だ。数少ない男性選手は、シリアやイランの難民の選手や沖縄出身の空手選手だ。

この映画では選手の競技シーンはほとんど映さず、むしろ選手の人生そのものを映そうとしているようだ。しかも驚くべきことに、反五輪運動などに対して河瀨直美が取ってきたこれまでの不誠実な態度に反して、選手たちがもつジェンダーやエスニシティなどの「政治的なもの」について、とても繊細に表現されているのだ。

いくつか例をあげよう。SNSを利用した巧みなアピールにより母乳育児中の子供とパートナーとともに五輪への参加を果たしたカナダ代表のバスケットボール選手と、出産を機に日本代表を引退した日本のバスケットボール選手が対比的に描かれる。二人は空港で邂逅し、日本の選手は「すごいママだね」とカナダの選手を見送る。日本の女子バスケットボールはオリンピックで躍進する。それを観客席で眺める彼女の複雑な表情。

ハンマー投げのアフリカ系選手が、BLMへの支持を強く打ち出した結果として誹謗中傷に晒されている。彼女は五輪で結果を出すことができなかった。このことが単なるスポーツにおける敗北ではないことは、誰の目にも明らかだった。しかし彼女は「私はここにいる」と自分を奮い立たせる。

沖縄出身の空手選手が優勝する。表彰式で掲げられる日の丸。しかしカメラは日の丸ではなく、優勝した選手が持つ母親の遺影をズームアップする。この選手の物語にとって重要なのは、日本国家ではなく、家族であり、ルーツとしての沖縄なのだ。表彰式が終わるとシーンは変わって沖縄へ。アメリカ軍基地のフェンスが映る。オジーやオバーたちが、ウチナーグチでその選手の優勝を称える。

河瀨直美という人物の二面性?

このような映像を、政治的に無関心な人間が圧倒的な芸術センスだけで撮影できるとは、私にはどうしても思えないのだ。もしこのような作品を撮るつもりだったのであれば、オリンピックに反対する人たちに対してもっと誠実な対応ができたのではないだろうか。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

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