コラム

ケータイ至上主義が日本文化を壊す

2013年12月17日(火)15時39分

今週のコラムニスト:レジス・アルノー

〔12月10日号掲載〕


 マナーの良さで知られる日本人も、携帯電話の力には逆らえないようだ。東京で地下鉄に乗ったり、通りを歩いたりするときには、携帯の画面に見入っている人々の間をスキーの回転競技のようにすり抜けなくてはならない。ネオンが輝く街なかでも、人々は暗闇の中を探るような足取りで歩き、周りに注意を払わない。外の世界が名刺サイズに縮んでいる。

 ある朝早く、私は若い女性が子供を自転車に乗せて保育園に送っていく間に、携帯にメッセージを打ち込んでいるのを目撃した。彼女にとって携帯は、子供や周囲の人々より大事なもののようだった。

 誰しも電車の中で、他人の電話の会話を聴かされるという不快な経験をしたことがあるだろう。他人のリビングルームに突然連れ込まれたような気分になる瞬間だ。

 こうした行動は将来に影響を及ぼす。生物学者によると、人体はライフスタイルの変化に適応するために形を変えてきた。数千年の間に食べる量が減って考える量が増えたため、人間の歯は小さく、脳は大きくなった。日本人の耳はいずれ携帯に適応するため長方形になるのではないか。

 日本人は携帯に夢中だ。私が東京にやって来た95年、日本のモバイル通信市場は世界の25%を占めていた。今も日本のモバイル通信網は世界最高レベルだ。

 だが携帯は文明の根幹を揺るがす武器にもなり得る。文明は「私」と「公」の対立の上に成り立っている。誰も私たちの私生活に立ち入ることはできないし、私たちの私生活が他人の邪魔をすることもない。

 西洋では古代ローマ時代以来、ドムス(家)とフォーラム(公的な生活)が対立関係を保ってきた。日本のソトとウチの概念もそれに近い(ただしフォーラムには政治的な意味があるのに対し、ソトにはない)。

 私は日本人の家を訪れるたび、「私」と「公」の境目が西洋より明確だと感じる。だが携帯は、この境界をぼやけさせる。親しい人々と常につながっているから、周りに関心を持たなくなる。

■中古レコード店にいた「貴族」

 外国を旅行したり、カフェで仕事をしているとき、人は家のソトにいる。しかし携帯のおかげで、家はポケットの中にある。電車の中で電話するときは、隣に座る人より電話の相手のほうが近くに感じる。ソトにいると思っているのに、実はウチにいる。犬のように鎖につながれているのに、ワイヤレスだと思っている。鎖(ワイヤ)が目に見えないだけなのに。

 携帯電話は進歩だといわれるが、本当にそうだろうか。私は最近、新宿にある中古レコード店ディスクユニオンで、おびただしい数の古いレコードを置いているフロアに足を踏み入れた。年配の日本人が数人、希少なレコードを古いプレーヤーで聴くために順番を待っていた。

 彼らの姿に、私は自分が恥ずかしくなった。自分の基準が低くなっていたことに気付いたからだ。多くの人と同じく、私はいつの間にか携帯で音質の低い音楽を聴くことに慣れてしまっていた。

 私が幸運だったのは、幼い頃に父が音の良いレコードを聴かせてくれたことだ。映画館にも連れていってくれた。一方、私は子供たちにそんな教育をしてこなかった。携帯でしか音楽を聴いたことがなければ、本当には音楽を楽しめない。携帯の動画ばかり見て育った子供の幼い頃の映画の記憶とはどんなものになるのか。

 アメリカの文明批評家ジェレミー・リフキンは、現代を「アクセスの時代」と呼ぶ。携帯によって、ほぼすべてのものに瞬時にアクセスできる時代だ。

 ディスクユニオンで列をつくる音楽ファンは、今の日本で最も反逆的な行為をしていた。待つことだ。大衆化が進む時代に、彼らは過激な反逆者であり最後の貴族だ。さて、貴族でないあなたはこの記事を携帯で読んでいるのだろうか。

プロフィール

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・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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