コラム

明治期の翻訳パワーを今こそ取り戻せ

2011年12月21日(水)15時47分

今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク

〔12月14日号掲載〕

 世界で最も古くからあり、人類進歩の原動力になった仕事なのに、携わる人の社会的地位は年々低くなっている職業は何か──答えは翻訳だ。翻訳・通訳といえば、単なる「言葉移し」で「機械的な作業」との認識が一般的だろう。

 だが、僕はこのたび『イ・サンの夢見た世界──正祖の政治と哲学』(キネマ旬報社)という韓国の歴史書の翻訳に携わってみて初めて知った。翻訳という世界の奥深さと快感を。

 翻訳者はある意味で医者だ。原文の間違い、文法的におかしな表現、意味不明な表現もすべて直す。訳注を加えてより完成された形で世に出すという意味で、スタイリストでもある。

 アメリカの文学研究者ハロルド・ブルームの理論に基づけば、「すべての読書は誤読であり、すべての翻訳は誤訳である」。そのとおりかもしれない。完璧な翻訳など不可能であり、原作の美しさや表現は損なわれることも確かにある。だが今回、翻訳とは翻訳者によって新しい生命力が吹き込まれて再生する、極めてクリエーティブな知的作業であると思えた。

 日本語と韓国語は、同じ漢字語を使い語順も似ているため直訳の誘惑に駆られやすいが、直訳では伝わらない場合が多い。そこで勇気を出してあえて冒険をしてみる。著者になったつもりで、読者に伝わる文脈を考えて言葉選びをする。いわゆる意訳だが、それは実にスリリングだ。自分の世界観が、限定的とはいえ投影される意味で快感ですらある。

 近頃、日本の書店では『坂の上の雲』関連本が人気のようだ。低迷の続く日本の政治・経済、そして今年の試練を思えば、人々が古きよき明治という時代に思いをはせることは不思議ではない。ならば明治期の真に素晴らしい功績を1つ確認しておこう。それは、明治日本が「翻訳国家」だったという事実だ。

 韓国の人気ジャーナリスト、コ・ジョンソクは著書で、人類文化史の観点から最も恍惚なる時代は古代ギリシャ・古代ローマでも中国の唐でも西欧のルネサンス期でもなく、翻訳熱が高まった江戸中期以降と明治時代の日本だと断言した。単に西洋文明のグローバル化に寄与しただけでなく、翻訳を通じて漢字文明と西洋文明を見事に融和させたことは、文化交渉史の最も輝ける精華だというのだ。

 実際、明治政府は翻訳局を設けて国策として翻訳を推進し、旺盛に西洋文明を受け入れた。この翻訳への熱意こそが日本の近代化の原動力になった。

■日本よ、「内向き」になるな

 だが、最近の日本はどうだろう。もちろん翻訳はあるが、真に学ぼうという情熱からのものばかりとは言えない。ちまたには「日本」があふれ、アジアや世界ではなく日本をどうするか、不安の裏返しとして日本の良さを再確認しようとする「内向き志向」ばかりが強いように見える。こういう時代だからこそ、あえて明治期の貪欲に外の物を吸収しようとした時代を想起すべきではないだろうか。

 21世紀は軍事力や経済力といったハードパワーがものをいう一元的な世界ではなく、文化・知識・創造性・ネットワークなどのソフトパワーが重要な意味を持つ多元的な時代である。今年は韓国躍進の年とされるが、その原動力の1つには旺盛な「翻訳文化」があったことを見逃してはならない。近年の韓国の書店は、日本小説をはじめ国もジャンルも多様な数多くの翻訳書であふれている。

 日本も活力ある韓国を丸ごと翻訳すればいい。韓国の知的財産を翻訳して日本に紹介し学び、研究し、丸裸にする。韓国人から親日派と批判されそうだが、日本に学ぶべきものがあって初めて韓国も翻訳を通じて成長できる。これが日韓相互学び合いのダイナミズムだ。日本の再生は隣国から学ぶ、いや隣国と共に学ぶことから始まるのではないだろうか。

プロフィール

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・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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