コラム

ウエアラブルは何のための存在か

2014年02月20日(木)17時27分

「クォンティファイド・セルフ(quantified self)」ということばをよく耳にするようになった。直訳すれば「数量化された自分」。自分の行動やありさまを数字で把握するというトレンドだ。

 こんな表現が取り沙汰されるようになったのは、他でもないウエアラブル・コンピューターが広まり始めたからである。身体につけて歩数や運動量をモニターしたり、睡眠のリズムを記録したりする。「今日は充分に歩いたか」、「昨夜の眠りの質は良かったか」といったようなことが、数字ですぐにわかるのだ。

 自分を数量化する手立ては以前もあったが、万歩計のような単純なものか、そうでなければ病院に行って測定してもらうような専門的な方法しかなかった。それが、最近は自分でかなりのデータを得られるようになっているのだ。

 万歩計ひとつとっても、従来と比べものにならないくらい機能が充実している。インターネットのアカウントに接続して、この1週間とか1ヶ月の記録がグラフになってわかり、運動を怠けているとそれがあからさまに表示される。自分と同じ年齢グループと比べて運動が足りないといったこともわかるし、グループでスポーツに励んでいるのならば、数字を見ながらみんなと同じレベルを保とうと頑張ることもできる。

 運動量などの活動状況や、心拍数、血圧など身体的な状態を計測するウエアラブルはそのうち当たり前になると思うが、摂取カロリーを計測しようとする技術も出始めたようだ。そして、自分のムード(気分)を計測することも、すでにいくつかのアプリで可能だ。食べた食事と自分のムードの関係を記録していくアプリもある。

「クォンティファイド・セルフ」は、今や会議のテーマにもなっている。『QS 』と呼ばれる会議やフォーラムでは、さまざまな方法によって自分を計測した人々が、数字をモニターすることでどう生活を変えたか、自分が変化したかといったことを話し合うようだ。

「クォンティファイド・セルフ」の対象は、今後ますます広がっていく。あるデザイナーは、自分の1年を計測した。その結果、43%の時間はひとりでいたとか、49.3%は生産的に活動していたとか、生産性が57.3%と最も高かった日は水曜日であるとか、32%は寝ていたといったことがわかったそうである。このデザイナーはこれをもとに「レポーター(報告書)」というアプリを開発した。これを使うと、自分の毎日が刻々と計測されるのだ。

「クォンティファイド・セルフ」は、いろいろな意味で歓迎すべきものだろう。自分のことを明確に数字で把握できるようになって、自己向上につながる意味は大きい。はっきりと数字を見せられれば、運動不足やカロリーの取り過ぎがごまかせなくなる。何となくわかっていたが、ダラダラと過ごしていた時間がやっぱり多かったといった認識もできるだろう。そして、いったん向上に努め始めれば、数字がどんどん良くなっていくのが励みにもなるはずだ。

 その一方で、数字だけで自分を測ることの危険もある。

 たとえば、「生産的」とはどんなことなのか。デバイスやアプリによって計測方法は異なってくるだろうが、ウェブのブラウジングではなく、メール送信やドキュメント作成をたくさんしていれば生産的なのか、あるいはそもそもキーボードを叩き続けたり、忙しく動き回っていたりすることが生産的なのか。これが進むと、空を見上げて空想にふける貴重な時間はカウントされなくなってしまうだろう。

 また、刻々と自分のムードや幸せ度を測るというのも、余計な意識を掻き立てるようなことになったりしないだろうか。ちょっとしたムードの変化が数値化されてゆるぎない記録になり、それが気になったりする。また、しばらく時間が経過しなければ感じ取れない幸せ感のようなものを、今すぐ測ろうとすれば、そもそも間違った測定になりかねない。

 それにいったん数量化されると、競争の種にもなる。数値を上げようと頑張るのはいいとしても、数字があるがために意味なく他人と競争したくなる衝動を抑えられなくなるかもしれない。

 その意味では、フェイスブックの「友達」も自分の数量化トレンドの兆しだった。友達の数が自分を計測する尺度になる面があるからだ。友達の深度とは無関係の点取り競争に陥っているかもしれないにも関わらず、数量はある種の力を持ってしまうのだ。

 混沌とした自分や世界をどう認識するか。少々大袈裟だが、「クォンティファイド・セルフ」は、多機能なデバイスやアプリを前にして、われわれユーザーに自分を測るだけではないもう少し高いレベルの問いを投げかけてくるようにも感じるのだ。

プロフィール

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ(テリー・ウィノグラード編著)』などがある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結

ワールド

英、中東に戦闘機を移動 地域の安全保障支援へ=スタ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 3
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されずに「信頼できない人」を見抜く方法
  • 4
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 5
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 6
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 7
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 7
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 10
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story