コラム

六本木でアラブ・アートの今を体感する

2012年08月20日(月)13時18分

 中東、アラブ、あるいはイスラームの美術と聞くと、多くの方はおそらく、アラビア文字の書道(カリグラフィー)とか千一夜物語のエキゾティックな世界、あるいは最近では政治的メッセージの強い抵抗芸術、あたりをイメージするのではないか。

 その「偏見」を打ち破ってくれるのが、今、六本木の森美術館で開催されている「アラブ・エクスプレス展」だろう(http://www.mori.art.museum/contents/arab_express/)。エジプト、レバノン、アラブ首長国連邦、パレスチナなど、アラブ諸国出身の若きアーティストの作品が紹介されているが、驚くのは、いずれの作品も実にポップである。写真や動画のコラージュ、作家自身によるパフォーマンスなど、「これはN.Y.のアートシアターか??」と思わせるような雰囲気。作家たちがさまざまなポーズで記念写真風に世界の観光名所に登場する一連の作品は、プリクラそのものだ。

 登場する作品の多くに共通するのが、そこに日常生活が常に顔を見せていることだ。いや、西欧近代絵画の写実主義や自然主義で現されるような「日常」ではなくて、日常のコラージュのなかにシュールな世界を展開する、という感じ。なかでも印象的なのは、砂漠を空撮したイラク人アーティストの映像作品で、淡々とヨルダンの地面を空から映しただけなのだが、何もないようにみえる荒涼とした大地に高速道路が走り、ときどき鬱蒼とした緑の農地が見え、しばらくすると白い塊が密集したエリアが見える。無人の地に幾何学模様、という光景はナスカの遺跡かと見まがうほどだが、それが決して無人のそれではないことは、小さく車や人の姿が映されることからもわかる。衛星画像をもとに米軍がイラクを空爆したときにはこんな風に見えていたんだろうな、そこに豆粒のように映る日常生活には目をくれずに、などと思いながら、作品を見た。

 また、そのブラックユーモアに思わず笑ってしまったのは、「次回へ続く」という映像作品。ネタバレにならないように少し暈して説明すると、見るからにテロリストな男が、かつてニュースでよく見たあの「テロ犯行声明」や「斬首中継」で使われたような録画取りセットで、なにやら深刻な顔で読み上げている。内容を真面目に聞いていれば実は・・・、ということなのだが、読み上げられている超有名な文学作品が、厳格なイスラーム主義者にとって必ずしも賛美すべきものではないことを考えれば、痛烈な皮肉である。

 昨年の「アラブの春」でのデモが、一種の若者のお祭りとして組織されたことは、これまでにも繰り返し指摘されてきたが、それは同時に売れない若いアーティストの自己発現の場でもあった。ビデオやカメラを回してさまざまな映像を撮り、それを加工してデモの場で、あるいはYouTubeを通じて世界に発信する。「アラブ・エクスプレス展」は、そんな若手アーティストの発信の場を、遠く日本へと運んできたものだ。

 最後に登場したエジプトのパフォーマンス・アーティストの作品は、そんな青年アーティストの生き様を体現している。ビニールで覆われた小さなスペースのなかで、宇宙人のような出で立ちでただ、毎日走り続ける。それは、外に出て自由に走り回りたくともできないムバーラク時代のエジプトを批判したパフォーマンスだったのか。そして彼は、昨年、まさに「アラブの春」でカイロでのデモに参加したところを、警官隊との衝突で命を落とした。

 彼は、今がその時、ビニールの部屋を出て、どこまでも走っていけると思ったのかもしれない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米FBI長官「信頼できる情報ない」、エプスタイン事

ワールド

パレスチナ国家承認、適切な時期含め総合的な検討継続

ビジネス

ネスレ会長が早期退任へ、CEO解任に続き 体制刷新

ビジネス

トランプ氏が解任の労働省前高官、「統計への信頼喪失
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 2
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 7
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 8
    「なにこれ...」数カ月ぶりに帰宅した女性、本棚に出…
  • 9
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story