コラム

氷上で消えるか「人種の壁」

2010年03月03日(水)13時25分

 バンクーバー・オリンピックの最大の話題は、なんといってもフィギュア・スケートだった。日本中が浅田選手、高橋選手に釘付けになっている間、筆者が「あれっ」と思ったは、ペアで銅メダルを取ったサブチェンコ・ゾルコビー組だ。特に、男性のゾルコビー。タンザニア人の父を持つ、褐色の肌のスケーターである。14位の結果に終わったが、フランスのジェームス・ボナール組は、2人ともアフリカ系フランス人だ。

 なぜ彼らの姿に、「へえ~」と思ったかというと、12年前の長野オリンピックに出場した、やはりアフリカ系フランス人のスルヤ・ボナリー選手のことを思い起こしたからだ。黒い色の肌の持つ彼女は、4回転ジャンプに挑戦するなど派手なジャンプが有名で、フランス代表として3度のオリンピックに出場、世界選手権でも優勝経験を持つ。だが、長野オリンピックのとき、なかなか技が決まらず、点数も伸びず、いきなりキレた彼女は、公式競技での禁止技であるバックフリップをやったのである。

 この暴挙に、彼女に対する批判が集まったが、彼女がキレた背景には、肌の色の黒い選手に対する暗黙の差別があることに、不満を持っていたからだ、とも言われた。氷上の美を競うフィギュア・スケートは、ヨーロッパの「美」の基準が根強い競技でもある。いくらジャンプを高く飛んでも、いくら技術が優れていても、「黒人」だから相応の採点をもらえないのだ――。そんな不満が、彼女に反抗的な態度をとらせたのだろう。

 ヨーロッパ諸国は、いずこも多くのアジア、アフリカ系移民を抱えている。第二次大戦後、戦後復興の時期、安価な労働力として旧植民地出身者を中心に、大量の移民を受け入れたからだ。今、彼らの子供、孫たちは、移民第2世代、第3世代として多くがヨーロッパのそれぞれの国の国籍を与えられている。だが、実際の社会では人種差別に悩まされているのが現状だ。5年前には、フランスで大規模な移民暴動が発生した。

 スポーツ分野でも、活躍している移民系の選手は多い。アルジェリア系移民のサッカー選手、ジダンは、その代表的な例だ。それでも華やかな活躍の裏に、さまざまな蔑視があることは、ジダンが引退前の試合で相手チームの侮辱に怒って「頭突き」したことからも、容易に想像できる。

 そのアフリカ系移民の選手が、バンクーバー・オリンピックで活躍した。もともと冬のオリンピックは、「北」からの参加者が多く、「南」のアジア、アフリカ出身者の影は薄い。だが、移民系の選手を通じて、少しずつ「人種」の壁が取り払われつつある。ヨーロッパの美の殿堂たるフィギュア・スケートでは、アジア系選手が表彰台の主流となった。氷上で「ブラック・イズ・ビューティフル」が主流になる時代も、来るのだろうか。

 ちなみに、中東からはトルコの選手がフィギュアに参加していた。安藤選手が「クレオパトラ」を踊るのだから、ベリーダンスの本場、エジプトあたりからフィギュア選手が出ても、いいのにねえ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米財務長官、FRBに利下げ求める

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=

ビジネス

GM、通期利益予想引き下げ 関税の影響最大50億ド
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story