コラム

企業を脅かす年金債務の重荷

2010年06月10日(木)15時38分

 NTTグループの年金をめぐる訴訟で、最高裁はNTT側の上告を退けた。NTTは退職者の85%の同意を得て、企業年金を確定給付から確定拠出に移行する減額変更を決定したが、厚労省は「経営状態の著しい悪化とは認められない」として申請を退けた。これに対してNTTが処分の取り消しを求めて訴えていたものだが、これでNTTの敗訴が確定した。

 NTTの年金債務は、2009年3月期の有価証券報告書によれば1兆1760億円で、これは資本金の125%である。厚労省は「NTT東日本・西日本は年1000億円前後の利益を継続的に計上しており、経営が悪化したとは到底認められない」とし、裁判所もこの処分を追認したが、この「隠れ債務」をすべてバランスシートに計上したら、12年分の利益が吹っ飛ぶ。

 これはNTTだけの問題ではない。日本経済新聞の集計(2009年3月)によれば、主要上場企業の年金・退職金の積立不足は総額約13兆円と、前年比で倍増した。この最大の原因は、株安によって年金原資が大幅に減ったためだ。積立不足額の上位10社は次のとおり:

1. 日立製作所:6866億円
2. NTT:5763億円
3. 東芝:5446億円
4. ホンダ:4566億円
5. パナソニック:4188億円
6. 三菱電機:4039億円
7. 富士通:4001億円
8. トヨタ自動車:3929億円
9. NEC:3483億円
10. 日本航空:3314億円

 どの企業でも積立不足の額は積立額に近いか上回っており、年金支給額のほぼ半分が不足している。このうち日本航空(JAL)が経営破綻の危機に瀕して年金の減額を決め、辛うじて年金基金の解散をまぬがれたことは記憶に新しい。こうした年金債務は現在の会計基準では計上しなくてもよいが、2012年からは国際会計基準によって負債として計上しなければならないので、このままでは債務超過になる企業も出てくる。

 しかし厚労省が年金減額の要件を「真にやむを得ないと認められる」経営状態の場合とし、対象者の2/3以上の同意を求めているため、減額はきわめて困難だ。「真にやむを得ない」とはどういう場合か具体的な基準はないが、公的資金を投入されたりそな銀行の場合には年金減額が認められているので、倒産一歩手前まで行かないと減額はできないということだろう。

 確定給付方式の企業年金は、企業が成長し続け、若い社員が増え続けたときにはうまく機能した。つねに保険料の支払いが給付を上回ったからだ。しかし労働人口が逆ピラミッドになると、こうした「ネズミ講」型システムは成り立たなくなる。これは公的年金でも同じで、特に国民年金は実質的に破綻しており、数百兆円の「隠れ債務」を抱えている。

 これ以外にも医療保険、社宅など、企業の福利厚生は賃金総額を上回る負担になっている。問題を永遠に先送りできればいいが、いずれ資金繰りに行き詰まる企業が出てくるだろう。また退職者の年金財源によって人件費がふくらみ、その分だけ新規雇用を削減することになる。結果的に、老人の既得権を守るために若者の雇用が犠牲になる世代間格差がさらに拡大する。

 今回のNTTの年金減額は、このような若い世代へのつけ回しをやめ、経営を健全化する試みだったが、「経営の健全性」といった曖昧な基準で厚労省にも裁判所にも拒否されてしまった。労使間で合意した制度変更を国が拒否することは企業経営の自律性を侵害し、経営陣が雇用に過度に慎重になる結果をもたらす。

 企業経営でも経済運営でも、大事なのは危険が予想された段階で早めに手を打つことだ。1990年代に、日本の銀行は潜在的な不良債権が増大しているのに問題を隠し、先送りして取り返しのつかない規模に拡大した。それは財政危機に飛び火し、ここでも政府は財政赤字を先送りして問題を世界最悪の規模に拡大してしまった。

 こうした失敗の教訓は、問題が表面化して誰の目にも明らかになってからでは遅いということなのだが、日本では絶体絶命にならないと「痛み」をともなう改革には合意できない。今度の事件は、残念ながら政府も裁判所も「失われた20年」の教訓を学んでいないことを示している。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

26年度の超長期国債17年ぶり水準に減額、10年債

ワールド

フランス、米を非難 ブルトン元欧州委員へのビザ発給

ワールド

米東部の高齢者施設で爆発、2人死亡・20人負傷 ガ

ワールド

英BP、カストロール株式65%を投資会社に売却へ 
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者・野村泰紀に聞いた「ファンダメンタルなもの」への情熱
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    ジョンベネ・ラムジー殺害事件に新展開 父「これまでで最も希望が持てる」
  • 4
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 5
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 6
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 7
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 8
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 9
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 10
    なぜ人は「過去の失敗」ばかり覚えているのか?――老…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 10
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story