コラム

権利とメディア

2013年03月21日(木)12時29分

 3月15日は「国際消費者権利デー」。そんな日があることを、中国に来てから初めて知った。実は1962年のこの日にケネディ米大統領が発表した一般教書で「消費者4つの権利」を提唱したのにちなんで、「国際消費者機構」が1983年に「消費者運動統一行動日」と定めたという(Wikipedia)。

 まぁ、中国は原則は「労働者の国」である。労働者や農民の側に立つ政府という建前になっているので、消費者が対峙する企業家などという社会の「搾取者」への抗議を展開するのはまるで「当然のこと」ということなのか、毎年政府が主体になって「国際消費者権利デー」キャンペーンが行われる。

 わたしの記憶では2002年ごろの中国「消費者権利デー」のメインテーマは「ニセモノ叩き」だった。全国に散らばる偽ブランドやニセモノ商品、そんなものをあぶり出す「ニセモノ叩きのプロ」といわれる著名人が複数いた。

 とはいえ、振り返ってみるとその頃から約10年、中国人の消費行動も大きく変わった。たとえば、最近スマホを使って近くを走っているタクシー運転手と連絡をとり、即時にタクシー予約できるというアプリを知り、その便利さに驚いた。だが、これは同時にタクシーの運転手の中にもこのアプリを使えるスマホの利用者が増えている、ということだ。目を凝らしてみていると、フロントガラスの端っこにちょこんとスマホホルダーをつけて走っているタクシーは確かに少なくない。

 でも、実のところ、今や小さなファストフード店で働く、地方出身の出稼ぎ店員たちが昼休みにスマホを取り出して覗き込んでいる時代だから、不思議でもなんでもないのだが。

 地方からといえば、3月初めから約2週間、北京では政治協商会議と全国人民代表会議のダブル国政会議が開かれ、全国各地からこの会議に出席するために5000人もの代表たちが集まった。1年に1回の北京詣で、さらに栄誉ある国政に関われる場とあって、この代表たちの中には「せっかくだから」と家族や周囲の関係者を連れてくる人も多く、この期間の北京のホテルはいつも満杯状態になり、高級品店はにぎわう。そして同時に街中でおもむろにiPad(注:iPad miniではない)を取り出して、写真を撮る人たちがどっと増えるのがここ数年の傾向だ。

 スマホ人口が爆発的に増大している中国でも、iPhoneやiPadなどのアップル製品は大人気だ。特にアップルの直営ストアは北京、上海、深セン、成都(四川省)の四都市にしかない(この分布事情は調べてみると面白そう)から、地方から北京にやって来る人たちにはわざわざ北京でそれを買うことを楽しみにしている人もいるようだ。中でも持ち運びに便利、と小さなコンピュータ代わりにiPadは急激に普及しつつある。

 だが、今年の3月15日(315)の「国際消費者権利デー」でそのアップルがやり玉に上がった。中央電視台が毎年この日に国家品質検査局とともに製作し、劣悪製品を摘発するという「315」特別ショー番組で、今年、アップルやフォルクスワーゲン、さらにはアンドロイド携帯などの製品やサービス上の「不正」が大々的に発表されたのである。

 この番組は過去にもマクドナルドやP&G、カルフール、東芝など海外ブランドを他の国内企業とともに名指しで「摘発」してきた。国内では招商銀行や中国移動通信など一般的に知られている有名ブランドも「摘発」されたこともあり、別に外国ブランドだけを「血祭り」にあげているわけではなく、今年は4大ポータルサイトの一つ「網易」も「ユーザーの個人情報をこっそり取得している」という疑惑をかけられた。

 アップル、アンドロイド携帯、網易......それぞれ指摘された問題点は違うが、こう並んだところを見ると、ネット生活にどっぷり浸かった人たちからすればその「意図」はなんとなく見えてくるようだ。上述したように315特番は「国」の品質管理局が協力して「国」営テレビの中央電視台が放送しているわけだし。

「番組では香港周大生宝飾店の金の純度が足りない、フォルクスワーゲンが問題とされた車両をリコールしないなどの問題が指摘された。国家品質監督検査検疫総局が公式文書でその是正を指示したという。だが、それらは政府担当機関と関連企業の通常の業務ではないのか? なぜわざわざテレビで特別番組まで作って報道する必要があるんだろう。そんなの、政府とメディアの『癒着』じゃないか」

 そう、その企業が有名であろうとなかろうと、なぜ1年に1回のテレビ特別番組で一方的に中央電視台による「調査報道」といわれるビデオが流れ、「晒し者」にされなければならないのか? それも全国津々浦々で数あるはずの、消費者権利に関わる問題から、わずか10社程度の企業が名指しされる。テレビを見ている人の目には、それらの企業はまるで何度も警告を受けながら無視をしたかのように映る。

 過去、国営全国放送の中央電視台が製作し、国家品質監督検査総局が完全協力するという二重の「国の権威」がかかった特番の影響は絶大だった。翌日からは主要新聞、雑誌が特番で名指しされた会社のニュースにくらいつく。それはもともとの企業が有名であればあるほど、「あの○○が...」と人々の口に上り続ける。事実はともあれ、企業側の精神的苦痛はかなりのものとなる。

「著名な通信、食品、電子販売など有名ブランド企業のPRを手がける会社の責任者は、この『315特番』で『指名』を受けないようにすることを、クライアントがその主要業務に含めるくらいだと語る。彼によると、『315特番』が終わるまでは落ち着かず、クライアントもPR会社も心ここにあらずになってしまうそうだ」

 だから、企業は名指しされないように「PR」に力を入れる。今年「キャッシュから個人情報を盗みとっている」と名指しされた網易の「容疑」は、その後多くのIT関係者が「コンピュータのキャッシュで個人情報が盗まれることはない」と口をそろえて弁護したが、実は特番で指名されたのは「実は網易が中央電視台にあまりCMを落とさないからだ」という噂も流れている。

......そう、結局はPR作戦の結果じゃないのか?と人々がちょうど思っていたところに、騒ぎが持ち上がった。

 この番組を見た人たちが中国国産マイクロブログ「新浪微博」上でその感想をつぶやいたが、そのうち数万、数十万人以上のフォロワーを持つ著名ユーザーたちがこぞって、アップルを批判するつぶやきをほぼ同時刻に発信したのである。その後、そのうちの一人だった台湾人俳優のピーター・ホー(何潤東)さんが「ぼくのアカウントが乗っ取られた! さっきの(アップル批判の)つぶやきはぼくが書いたんじゃない!」と書き込み、一挙にそれが広がった。

 ホーさんが「ぼくが書いたんじゃない!」という問題のつぶやきはこう書かれていた。

「アップルはそんな酷いアフターサービスをしているのか? アップルファンのぼくは傷ついた。そんなことをやって、あのジョブスに顔向けができるのか? 腎臓を売ってまでアップル製品を買いたいと願ったという少年に顔向けができるのか? 大ブランドは客を騙すのがうまいんだな。8時20分頃配信」

 最後の「8時20分頃配信」ってなんだ?と思い始めた奇特なユーザーが調べたところ、新浪微博上の著名人気ユーザーたちのアップル批判の書込みもほぼ「8時20分」前後に配信されており、その数400本を超えていたという。このあまりの偶然に、「もしかしたらこれは誰かが仕組んだサクラじゃないのか? 『8時20分頃配信』というのは内容と配信時間を指定されたがそこを消し忘れたものに違いない」という声に代わり、「著名人たちは中央電視台からカネをもらって書き込んだ」に変わっていった。

 すると実際にアップル批判の書き込みをした著名ユーザーの中から、「確かに新浪(新浪微博を運営するポータルサイト。網易のライバル会社でもある)に頼まれた。だが金品は受け取っていない」と弁明する人が現れ、あっという間にサクラだったことが証明されて、ホーさんのつぶやきで消し忘れたとされる「8時20分頃配信」という言葉が流行語になった。

「結局、ショーを盛り上げたいと中央電視台側が協賛の新浪微博に頼み、新浪微博は著名ユーザーに協力を求めた。一部芸能人などの微博アカウントは日頃から本人ではなく助手が書き込むこともあるから、ホーさんのつぶやきも助手が請け負って書き込んだのかもしれない。その時に依頼された文面の最後についていた『8時20分頃配信』の表記を消し忘れたのではないか。彼らからすればこれもお互いの関係づくりのためのPRなんだ」

 えげつない話である。だが、ある意味「関係」という言葉がすべてにおいて優先される中国において、「ニセモノ叩き」「消費者権利」まで「PR」という名のもとにサクラが使われるとは。さらに、アップル叩きに協力した微博ユーザーが当の書込みをするときに使っていたクライアントがiPadやiPhoneだったこともひと目で分かり、人々の失笑を買った。

 そんな人々は「沙逼北京、豬投上海」の現実に直面している。「砂が北京に迫り、上海にはブタが浮く」という意味だが、「沙逼」や「豬投」はその発音から「アホんだら」に近い罵り言葉を誰しもが浮かべる。「中国が誇る大都市に暮らす住民が空気や水の不安を抱えて生活している最中に、そのことには一言も触れずにアップルや網易を叩いてなんになる?」という恨み声も上がっている。

「ある人が言っていた。網易と中央電視台のどちらを取るかと言われたら、ぼくは網易の側に立つ、と。その理由は網易が永遠にユーザーの権利を侵すことはありえないというのではなく、中央電視台が独占的な権力を持っているから。確かに、本質的な面で中央電視台は権力のためのメディアであり、その代弁者であり、本当の意味においてのメディア共同体の中の一員と呼ぶことはできず、他の媒体とは全く違う権威と権力を持ち、そのためにメディア共同体内での相互批判や競争を通じて公正や道義を勝ち取る必要がない。だからこそ一般メディアよりも大きな純粋さ、公共性を持つべきなのだ」

 そう、同じように人々はやっぱりアップルやアンドロイドの側に立つだろう。それらを遠ざけることで彼らに情報を与えてくれるのは中央電視台だけになってしまわないように。そして5億人が利用しているのに策を弄する新浪微博でも、実はだんだん微博離れが始まっていることを人々は語り始めている...(このお話についてはまた改めて!)

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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