コラム

大陸版「風が吹けば...」

2011年06月30日(木)07時00分

「風が吹けば桶屋がもうかる」とはよく言ったもので、まさか色とりどりのケリーバッグやイタリア製高級スポーツカー「マセラティ」が、国際赤十字の傘下組織である中国紅十字に中国中央電視台(CCTV)、新華社、人民日報、中国青年報など並みいる中国官製メディア関係者を呼び集めて内部対応会議を開く騒ぎに発展するなんて、最初は誰が想像しただろう。

 もとはといえば、前回の「ホワイトハウス中国人インターン」話のように、どこかのちょっとした小金持ちの女の子が中国国内向けマイクロブログ「新浪微博」で自分の持ち物をこれ見よがしに並べていただけだった。繰り返しになるが、中国ではまったく無名の人物が突然ニュースの前面に飛びだしてくることがよくある。なので、彼女の20歳という年齢に不相応なスポーツカーの見せびらかし程度なら、嫉妬に燃えたネットユーザーたちのおもちゃにされ、嫌がらせでサイトが炎上したという話題を提供する程度で終わるはずだった。

 しかし、その郭美美さんが「新浪微博」から本人認証(ツイッターの「V」認証に相当)を受けていたプロフィールを、当初の「タレント」から「紅十字会ビジネスマネジャー」と書き換えたところから騒ぎが大きくなっていく。まず、新浪がその書き換えられた身分の確認が不徹底だったことを中国紅十字に謝罪する公式の声明を出し、郭さんは慌てて「自分が所属するのは『紅十字商会』で中国紅十字とは無関係」と弁明したが、時すでに遅し。中国のネットユーザーたちによるネット身元照会――「人肉捜索」が始まった。

 というのも「中国紅十字」は2008年の四川大地震の際に、市民からの募金のうち実際に被災地に渡ったのはわずか30%という暴露情報が流れて非難が集中した。当時、紅十字は市民からの利用明細公開要求を拒絶したうえ、幹部が「サービス提供には経費がかかって当然。募金の利用決定権は我々にある」と居直った。国の全面的バックアップに胡坐をかいた中国紅十字のあまりのザルぶりが「GONGO」(Government Organized Non Government Organization)と揶揄される一方で、インターネットを使って作り上げた信頼関係で集まった募金を、使途明細を明らかにしながら被災地に送り届けるという民間NGOが大量に出現した。このような国の認可を得ていない募金活動は中国では違法だが、これをきっかけに民間パワーを利用したNGOへの関心が大きく高まった。

 東日本大震災発生直後にも、周囲の中国人から「中国紅十字を通さずに日本の被災者の手に直接渡せる方法はないか」という問い合わせを受けて、面食らった在華日本人は多い。当初は中国紅十字を義捐金受付先に指定していた日本大使館ですら、その後独自の募金口座を開設せざるを得なかった。それほど市民の中国紅十字への不信感は根強いのである。

 だから、そんな紅十字の「ビジネスマネジャー」を名乗る無名タレントが、エルメスのバッグや超高級スポーツカーを次々と見せびらかしたのだから、人々の気持ちがおさまるわけがない。怒りに駆られた人々は、まず彼女のウェブアルバムのパスワードを解析し、美容整形直後の包帯姿の彼女の写真を公開。さらに彼女と彼女の母親のIDカードの番号をあぶり出し、彼女が以前マイクロブログで披露していたもう1台のランボルギーニの車主登録名が、財政部副部長を務める王軍・中国紅十字主席と同姓同名であることを突き止めた。中国では同姓同名は珍しくもないが、昨年末から車両登録が格段に厳しくなった北京で、北京市戸籍を持つわけでもない郭さんがなぜ彼女名義の新車マセラティに北京ナンバーを取ることができたのか、と疑惑を呼んだ。

 さらに彼女のマイクロブログにはたびたび彼女の母親が顔を出すが、父親の話題は出てこない。その母親が彼女と同姓(中国は夫婦別姓だが、生まれた子供は父親の姓を名乗ることが多い)だということも不審を呼び、郭美美さんの出生、家庭環境も人々の興味の的となった。その結果、郭という姓から紅十字会副会長の娘だという噂や、いやランボルギーニの車主である王軍氏こそが母子のどちらかの愛人で後見人なのだという憶測が乱れ飛ぶ。さらにはマイクロブログ上でのやりとりから郭さんの親せきとみられる若い男性が、香港と大陸の間で高級車の密輸を手掛けているらしいということまで掘り起こされる始末。ここまでくると、彼らの家族に法の網をうまく抜けおおせることのできる政治力を持つ人物がいるらしいと疑われても不思議はない。

 そこに、独自の調査報道で定評のある、広州の新聞「南方都市報」が乗り出した。同紙の記者は、中国紅十字の傘下に郭さんが名乗った「紅十字商会」によく似た「商業系紅十字会」という組織が実際に存在し、さらにその傘下に中国紅十字のプロジェクトを請け負っている王鼎公司、中紅博愛公司という企業があることを突き止めた。その王鼎公司のトップは商業系紅十字会の王樹民副会長の28歳になる娘、また同公司は10年連続で赤字を計上しているが、同公司が1500万元を出資している中紅博愛公司は、記者がその詳細を調べようとしても不思議なことに政府の工商局の検索システムで開けなかったという。

 不審が不審を呼び、不信が不信を招く。6月27日は審計署(監査局に相当)が中国紅十字の収支問題を指摘、不明瞭な支出が明らかになる。6月28日には、紅十字会はCCTVなど国営6メディアの関係者を集めて会合を開き、その日のうちにそれらのメディアを通じて、審計署に指摘された予算以上の支出は報告漏れによる技術的なミスであったこと、郭美美事件については外部に流れる憶測を否定し、紅十字会及び関係者は郭美美さんとは一切の関わりがないことを強調した。

 そして29日。今この原稿を書いているところに、「郭美美さんが本日午後警察に連行されたらしい」という情報がインターネットを通じて流れてきた。

 ウソかまことか。人々はもうそんなことには興味がない、この事件がここまでの騒ぎになったのもすべてが虚栄心と憶測とウソとでたらめの積み重ねだったのだから。吹けば飛ぶような無名タレント一人が逮捕されたとしても、人々の中国紅十字に対する深い不信感は消えることはないだろう。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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