最新記事

歴史

テロリストの一弾が歴史を変えた――第一次世界大戦史(1)

2016年7月8日(金)18時03分

 逮捕されたプリンツィプは、大公が「将来の君主として、一定の改革を達成することによって、我々の統一を妨げたであろう」と言っている。第一次世界大戦の開戦過程を描いた名著『夢遊病者たち』で、歴史家クリストファー・クラークはこう指摘している。テロ活動の論理からすると、明白な敵や強硬派よりも、このような改革派や穏健派の方が恐れられるのである、と。

 暗殺の波紋はゆっくりと広がったが、大戦に発展する兆しはなかった。ただ、この暗殺によりオーストリア政府内では、セルビアに対して武力行使も辞さない強硬措置を取ろうとする意見が急速に台頭する。この時点で明瞭な証拠はなかったものの、暗殺の背後にはセルビアがいるか、あるいはセルビア政府は凶行を少なくとも黙認していた、と推察したのだ。

 これまでオーストリアで対セルビア強硬策が取り沙汰された時、常に待ったをかけてきたのはフェルディナント大公であった。しかし、皮肉なことに大公その人が殺されたのである。我慢にも限界があるという強硬派の申し出を受け、老皇帝は二重帝国のもう一方であるハンガリーの首相イシュトヴァーン・ティサの同意を条件とし、強硬措置を認めた。

似た者同士――ヴィルヘルム二世とフェルディナント大公

 老皇帝がどの程度、大公の死を怒り悲しんだかには諸説がある。ただ、老皇帝よりも怒り悲しんだ可能性が高いのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世であろう。大公暗殺の報は、すぐにドイツ北部のキールでヨットレースを楽しんでいたカイザーに伝えられた。

 カイザーは大公としばしば狩りをする間柄であった。サライェヴォ事件の二週間ほど前である六月一二~一三日にも大公夫妻に招かれて親しく交遊し、スラヴ問題について意見を交わしたばかりである。カイザーは五五歳で、五〇歳の大公と年齢も近い。また、両人は落ち着きがなく、虚栄心に満ちた性格でも似た者同士であった。ただ、カイザーはハプスブルク家の人々と異なり、ゾフィーと分け隔てなく接したので、夫妻にとってはつきあいやすい相手であった。

 暗殺を知り、カイザーはすぐにベルリンに引き返す。七月二日、オーストリア政府内の見解を伝えるドイツの駐ウィーン大使の報告書を読んだカイザーは、その余白に「セルビア人は一掃されねばならない、それもすぐに!」と書き込んだ。後世の歴史家には、この書き込みこそがドイツ外交が過激になった転換点を示す証拠であり、「勅令」と同じ効果を持ったとさえ論じる者もいる。しかし、すぐに激昂するカイザーの性格や、書き込みにすぎないことから、そこまで重視すべき事柄ではないと思われる。

 七月三日、大公夫妻の葬儀がウィーンで行われた。カイザーは呼ばれれば参列したであろうが、フランツ・ヨーゼフは他国の君主を招く気はなかった。安全確保の問題もあったが、体調のすぐれない老皇帝は平穏な日常生活に一日も早く戻りたかったのだ。大公の葬儀で、老皇帝とともに、カイザーやロシア皇帝ニコライ二世(慣例でツァーとも呼ぶ)などが一堂に会していれば、大戦が回避されたかは別として、事態は違う展開を見せたであろう。

※シリーズ第2回:ロシアの介入はないと無責任な約束をしたドイツ――第一次世界大戦史(2)


『第一次世界大戦史――諷刺画とともに見る指導者たち』
 飯倉 章 著
 中公新書


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ドル157円台へ上昇、34年ぶり高値=外為市場

ワールド

米中外相会談、ロシア支援に米懸念表明 マイナス要因

ビジネス

米PCE価格指数、3月前月比+0.3%・前年比+2

ワールド

ベトナム国会議長、「違反行為」で辞任 国家主席解任
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 5

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 6

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 7

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    「性的」批判を一蹴 ローリング・ストーンズMVで妖…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中