コラム

改革開放の「真実」はどこにあるのか――閻連科『炸裂志』を読む

2017年01月11日(水)18時23分

Newsweek Japan

<ノーベル文学賞に最も近いといわれる中国の作家、閻連科(えんれんか)の新刊小説『炸裂志』。「毒」を込めて醜悪な人間の営みを展開し、改革開放という時代の是非を描き出す> (写真:インタビューに答える閻連科)

 文学というのは、底意地が悪いものである。だが、そうではなくては文学ではない。中国の作家、閻連科(えんれんか)による新刊小説『炸裂志』(泉京鹿訳、河出書房新社)には、どこか日向ぼっこのような昨今の日本文学からすれば、考えられないほどの「毒」が込められている。だが、それは悪意によるものではなく、改革開放という時代の是非を描き出すことで、中国社会の覚醒に期待を寄せる一人の作家の「気概」を伝えるものである。

 この作品は巨大な寓話だ。登場人物たちは架空であるが、すべていまの中国に生きる中国人たちを表象している。この本を読んだ中国人には、こう思う人間がいるはずだ。「ああ、これは私のことを語っている」と。

 そして、それこそが、中国でいま最もノーベル文学賞に近いと言われている1958年生まれの作家、閻連科の狙いである。

 小説の舞台は、河南省の「炸裂」という村だ。河南省出身である閻連科の小説の舞台は河南省が選ばれることが多い。中国において、出身地はその表現者の特性を規定する。中国を代表する映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が山西省を舞台にした映画を撮り続けるように、閻連科という作家の根っこには、かつて「中原」と呼ばれ、中国で最も中国らしい土地ともいえる河南省がある。

 ただ、今作の村のモデルは、河南省ではなく、改革開放の最前線の都市である深圳なのであろう。香港との境界にあった小さな農村が、30年後のいま、北京、上海に次ぐほどの巨大都市に成長している。夢物語のような発展だが、まさに改革開放の30年を物語っており、その「発展」が本書の主題である。

「炸裂」はもともと小さなどこにでもある村だった。しかし、改革解放の流れに乗って、村から鎮になり、鎮から県になり、県から特別市へと瞬く間に昇格していく。改革開放時代の「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」のなかで生きる人々を、顕微鏡で眺めるように細かく描き出す。泥棒あり、偽造あり、売春あり、汚職あり、暴力あり、殺人あり。愛や情もないわけではないが、それらが霞んでしまうほどの醜悪な人間の営みが、これでもかと展開される。

 だが、本書はそもそも啓蒙的な堅苦しさはなく、むしろ全編で小気味いいブラックユーモアのオンパレードだ。その一つが、程菁という名前の少女が遂げた変貌である。彼女はもともと村長・孔明亮の秘書であった。村長である時の誘いには見向きもしなかった彼女が、孔明亮が鎮長になった途端、自らボタンを外し、孔明亮を受け入れ、そこから炸裂の有力者にのし上がっていく姿は、あまりにもリアルすぎて笑いをこらえるしかない。

 しかしながら、現実に中国で権力者に付き従って利権の分け前に預かっていた「情婦」が次々と摘発される姿を見ていると、あながち笑い飛ばすわけにもいかず、背筋に一筋の冷や汗が流れる気分にもなる。

プロフィール

野嶋 剛

ジャーナリスト、大東文化大学教授
1968年、福岡県生まれ。上智大学新聞学科卒。朝日新聞に入社し、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長(2007-2010)、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾でも翻訳出版されている。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)『銀輪の巨人』(東洋経済新報社)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団』(ちくま文庫)『台湾とは何か』『香港とは何か』(ちくま新書)。『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

原油先物は横ばい、米雇用統計受け 関税巡り不透明感

ワールド

戦闘機パイロットの死、兵器供与の必要性示す=ウクラ

ワールド

焦点:トランプ税制法、当面の債務危機回避でも将来的

ビジネス

アングル:ECBフォーラム、中銀の政策遂行阻む問題
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 7
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 6
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story