コラム

1500~2000人も犠牲になった虐殺事件ですら、歴史に埋もれてしまう

2017年09月06日(水)11時20分

実はシャティーラ・キャンプの取材を始めてから、テルザアタルの虐殺を生き延びた経験談を何人もの難民から聞くことになった。私の感覚だけで言えば、話を聞いた人の3人に1人はテルザアタル出身というような頻度である。

例えば、前回のコラムでシャティーラ・キャンプであった2つの家族の銃撃戦をとりあげ、それぞれ1人ずつが死んだと書いた。その後、家族のメンバーを含めて話を聞いたところ、両家族ともテルザアタル・キャンプが陥落した後、シャティーラに移ってきた家族だった。

シャティーラ・キャンプの一角に5階建てアパートが2棟あるが、それは90年代初めに、国連パレスチナ難民救済機関(UNRWA)がテルザアタル・キャンプ出身者のためにつくったアパートだという。

テルザアタルの虐殺を生き延びた難民の話を聞くと、52日間の包囲攻撃で、食べ物がなくなったという話や、飲料水を汲みに行くにもキャンプの水場に行くしかなく、そこはキリスト教民兵のスナイパー(狙撃手)に常に狙われているために命がけだったという話。さらに、最後に民間人が投降した日に、キャンプ周辺の広場に集まった時、キリスト教民兵が14~15歳以上の男をとらえ、その場で殺したり、拉致したまま戻ってこなかったりしたという話を数人の難民から聞いた。

取材3年目にして初めて、8月12日のテルザアタルの虐殺記念日に立ち合うことができた。そもそもテルザアタルの虐殺を知らず、ましてや虐殺の日に記念行事が行われているなどとは思いもしなかったのである。

サブラ・シャティーラの虐殺は強烈な印象を持っていたのに

シャティーラ・キャンプと言えば、1982年にイスラエル軍がレバノンに侵攻し、ベイルートを包囲している状況で起こった「サブラ・シャティーラの虐殺」は有名である。

【参考記事】1982年「サブラ・シャティーラの虐殺」、今も国際社会の無策を問い続ける

ただし、"有名"と言っても、たぶんシャティーラという名前を聞いて虐殺を思い浮かべるのは、同時代でニュースを見ていた記憶のある50代半ば以上だろう。40代以下の世代では「シャティーラ」といってもレバノンにあるパレスチナ難民キャンプの1つということになる。

サブラ・シャティーラの虐殺の時、私は新聞社に入って2年目だった。虐殺直後にキャンプに入って虐殺の歴史的な写真を撮った写真家の広河隆一さんが虐殺事件の遺品展を日本で行い、さらに「子どもの家」と連携して、虐殺で親を失った孤児に日本から支援する里親運動を始めた。私はその活動について記事を書いたことがある。

サブラ・シャティーラの虐殺については私も強烈な印象を持っているが、そのわずか6年前にあったテルザアタルの虐殺について知らなかったということを考えれば、いま、シャティーラと聞いても虐殺を思い浮かべない人々が日本で大多数になっているとしても不思議ではない。虐殺事件のような衝撃的なニュースでさえ、時代や世代を超えて残るわけではないことがよくわかる。

私は学生時代からアラビア語と中東を学んでいた。パレスチナ問題やレバノン内戦については当然、本を読んでいるから、テルザアタルの虐殺について読まなかったはずはない。しかし、シャティーラ難民キャンプで人々の話を聞き始め、テルザアタルの虐殺で家族を失った人々の悲惨な体験談を聞いて初めて「それは一体、何の話だ」と思ったのだ。

知識としての歴史事実や犠牲者数としての戦争や虐殺の記録だけでは、繰り返してはならないはずの悲劇も、簡単に風化してしまうということだろう。逆に考えれば、いかに悲惨で歴史的な出来事であっても、当事者の生の体験が伝わらなければ、客観的な事実だけでは歴史の中に埋もれてしまうということだ。

【参考記事】難民に苦痛を強いるレバノンの本音

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガリニューアル!
 ご登録(無料)はこちらから=>>

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

TSMC、熊本県第2工場計画先延ばしへ 米関税対応

ワールド

印当局、米ジェーン・ストリートの市場参加禁止 相場

ワールド

ロシアがウクライナで化学兵器使用を拡大、独情報機関

ビジネス

ドイツ鉱工業受注、5月は前月比-1.4% 反動で予
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 7
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    「コメ4200円」は下がるのか? 小泉農水相への農政ト…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 5
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 6
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 7
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 8
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 9
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とん…
  • 10
    ロシア人にとっての「最大の敵国」、意外な1位は? …
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 6
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 9
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 10
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story