コラム

映画『オマールの壁』が映すもの(2)不毛な政治ではなく人間的な主題としてのパレスチナ問題

2016年05月13日(金)16時22分

イスラエルが建設した分離壁をのぼるオマール 提供:UPLINK

映画『オマールの壁』が映すもの(1)パレスチナのラブストーリーは日本人の物語でもある

※ネタばれ注意

 パレスチナ映画『オマールの壁』の結末は、主人公のオマールが、自分をスパイに仕立てようとしたイスラエル秘密警察のラミ捜査官を銃で撃つというものだ。オマールがなぜ、ラミを撃ったのかは、映画の中で種明かしされるわけではない。謎解きは観客に委ねられる。

 この結末の前に、この映画の人間的なドラマは終わっている。オマールとナディアのラブストーリーを縦糸とすれば、それに模様をつける横糸は、パレスチナ問題である。結末は、この映画でのパレスチナ問題に仕舞いをつけるものであり、当然のこととして、オマールとラミという「パレスチナ対イスラエル」の対比となる。

【参考記事】『オマールの壁』主演アダム・バクリに聞く

 パレスチナ映画であるなら、パレスチナ問題が縦糸で、パレスチナ人の若者のラブストーリーなど人間ドラマは横糸ではないか、と考えるかもしれない。しかし、『オマールの壁』はそうではない。さらに、同じくアブ・アサド監督の『パラダイス・ナウ』もそうではなかった。だからこそ、パレスチナ映画でありながら、世界の娯楽映画が集まるハリウッドのアカデミー賞で、それぞれ外国語映画賞にノミネートされたのだ。

 前編でも触れたように、英語版の公式サイトの予告編は、オマールとナディアのラブストーリーを中心としたつくりになっているが、日本語版の予告編は、パレスチナを分断する分離壁に象徴されるパレスチナ問題を中心としたつくりとナレーションになっている。イスラエルを支持するユダヤ人勢力が強い影響力を持っている米国で、パレスチナ問題を強調することのマイナスが考慮されたことはあるだろうが、実際に映画を見てみれば、この映画の縦糸は人間ドラマであるということは理解できるはずである。

 ラブストーリーの部分の結末は、オマールはナディアと結婚を約束していたが、イスラルのスパイとなった幼馴染のアムジャドから「ナディアを妊娠させた」と言われたことで、自身はナディアとの結婚をあきらめ、ナディアをアムジャドと結婚させるというものだった。

 ところが、2年後、オマールはアムジャドとの間で2児をもうけたナディアと初めて二人きりで話し、ナディアが妊娠していたというアムジャドの言葉が嘘だったことを知る。アムジャドは親友のオマールをだまして、ナディアを奪ったことが明らかになる。

オマールがラミを撃った謎の読み解き

 私が講義を持つ大学の自主講座で、この映画を題材として映画を見た学生たちの感想を聞いた時、ある学生は、オマールがラミ捜査官に電話して「犯人が分かった。銃をくれ」と言った時に、嘘をついたアムジャドを殺すと思ったのに、なぜラミ捜査官を撃ったのだろう、と疑問を呈した。

 オマールが最後にラミを撃ったことについて、映画を見た学生から出てきた読み解きとして、オマールは自分の怒りをすべての問題を生み出しているイスラエルに向け、反抗者となる道を選んだ、というものがあった。または、自分の怒りからラミを殺したオマールの顔が、抑圧者であるラミと重なったという見方をしたものもいた。つまり、占領という暴力がパレスチナ人の若者をも醜い殺人者にしてしまう、という読みである。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、イラン「無条件降伏」要求 最高指導者「

ワールド

習主席、中央アジア5カ国との条約に署名 貿易・エネ

ワールド

米軍、中東に戦闘機追加配備 イスラエル・イラン衝突

ビジネス

米5月の製造業生産、前月比0.1%上昇 関税影響で
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越しに見た「守り神」の正体
  • 3
    イタリアにある欧州最大の活火山が10年ぶりの大噴火...世界遺産の火山がもたらした被害は?
  • 4
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 5
    50歳を過ぎた女は「全員おばあさん」?...これこそが…
  • 6
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 7
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 8
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?.…
  • 9
    コメ高騰の犯人はJAや買い占めではなく...日本に根…
  • 10
    ホルムズ海峡の封鎖は「自殺行為」?...イラン・イス…
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタ…
  • 6
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 7
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?.…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story