コラム

「イスラム国」を支える影の存在

2015年12月05日(土)15時10分

「国」を倣い、アルカイダから脱皮してISへ

 アブバラのような例は、全くの例外である。フセイン体制下のムハーバラートは、米軍によって新生イラク体制から排除されたために、反米聖戦を行うイラク・アルカイダと協力して、米占領体制をかく乱する側に回った。そのように考えれば、現在のISと戦う上でも、単純に「過激派組織」として対処するようなやり方では通用しないことが見えてくるだろう。

「イラク・アルカイダ」は、2006年に「イラク・イスラム国」と名称を変え、国防、内務、財政、教育などの大臣を指名して、「国」に倣ったイスラム体制をとった。「イラク・イスラム国」は2011年にシリア内戦が始まった後、2013年にシリア内戦に参加して「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」と名称を変え、2014年にモスルを制圧して、カリフ制の「イスラム国(IS)」を宣言した。

 ISが掲げる「カリフ制再興」の考え方はイスラム政治運動の中で綿々と流れているが、それが戦後のイラクで実現したのは、延々と「過激派組織」として反米ジハードを行ってきたアルカイダ的発想ではなく、イラクのムハーバラートのように国を担ってきた「インテリジェンス=情報機関」的な発想と言えないだろうか。

 情報機関は軍と同様に、非常に専門的な訓練と経験を必要とし、厳格なイスラムの実施を唱える大時代的な過激派組織が、一朝一夕で手に入れることが出来るものではない。ISが、25万平方キロ以上の地域を支配しつつ、高度で洗練されたメディア戦略を駆使し、巧妙な軍事作戦を多方面で展開しているのは、高度なインテリジェンス機能を有しているからと考えるしかない。そうでなければ、ISの「国」など一瞬にして瓦解してしまうだろう。

 ISはカリフ国を宣言した後、イラクとシリアの支配地域で次々と地元の部族を集めて、忠誠をとりつけ、それをインターネット動画サイトYouTubeで公開している。逆にシリア政権軍についた部族を数百人規模で殺したとの報告もある。旧フセイン体制でも、忠誠を誓う部族のメンバーを重用し、道路整備などの便宜を供与したが、背けば残虐に力でねじ伏せた。ISによる「アメとムチ」の部族対策には、サダム・フセイン時代の情報機関の蓄積を感じるのである。

独誌が特集した元情報将校の機密文書

 今年4月、ドイツのシュピーゲル誌に、ISの戦略を立案していたのはイラクの旧フセイン政権の元情報将校だった、という特集記事が出た。「ハジバクル」と呼ばれた元将校が2014年1月、シリア北部のタルリファトで自由シリア軍に家を襲撃されて殺害されたが、その自宅から31ページの機密文書を入手し、そこにISの戦略が記されていたという。

 同誌で紹介されている内容は、まず各地にイスラムを広める宗教センターを開き、そこに集まってくる人を使って、その土地の有力者や有力家族のメンバーや資金源などの情報を徹底的に収集し、イスラムの教えに反している行動などの弱みも押さえる。イスラムの有力者と近づき、時には脅したり、誘拐したり、暗殺したりして、地域を支配していく。そんな情報機関ならではの方法が詳述されていたという。

 この話はイラクの旧情報機関の地域支配のノウハウが、ISの地域支配として生きているということを示すとともに、そのディテールが興味深い。シュピーゲル誌の記事からは、イラク戦争後に米占領体制を失敗させるためにテロを始めた旧政権の治安情報機関メンバーが、いまISの中で支配地域を維持する役割を果たしているという流れが見える。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

-中国が北京で軍事パレード、ロ朝首脳が出席 過去最

ワールド

米政権の「敵性外国人法」発動は違法、ベネズエラ人送

ビジネス

テスラ、トルコで躍進 8月販売台数2位に

ワールド

米制裁下のロシア北極圏LNG事業、生産能力に問題
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 8
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 9
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story