「名前はまだない」パレスチナの蜂起
今回の衝突は、すでに昨年の同じ時期にその芽が生まれていた。2014年10月、すべてのイスラーム教徒にとっての聖地、アルアクサーモスクがある「神殿の丘」を、「イスラエルの手に取り戻せ」と主張するユダヤ人ラビが撃たれた。その結果イスラエルは、アルアクサーモスクを、占領下に入れて以来始めて閉鎖した。このことは、イスラエルがエルサレムにおけるイスラームの聖地を破壊し、ユダヤ化することを狙っている、との疑念をパレスチナ人の間に強めることになった。アルアクサーモスクが閉鎖された昨年10月末、アッバース・パレスチナ自治政府議長はこれを「宣戦布告だ」と表現した。
この緊張状態を解消するために、11月にはケリー米国務長官がアッバースやネタニヤフ、ヨルダンのアブダッラー国王と会談した。翌日にはイスラーム教徒のアクサーモスクでの礼拝が認められ、事態は沈静化するかと思われた。だが、今年8月初め、イスラエル政府は再びパレスチナ人のアルアクサーモスクへのアクセスを制限する。そして9月、冒頭に指摘したように再びモスクが封鎖され、衝突が激化したのである。
この衝突の激化をなんと呼ぶか。前述したように、「第三次インティファーダ」と呼ぶメディアがある一方で、アルアクサーモスクがきっかけで起きたことから「アルアクサーインティファーダ」と呼ぶものもいる。2000年に発生したインティファーダが、当時野党党首だったアリエル・シャロンの神殿の丘訪問に挑発されて沸き起こった、という史実とダブらせて、アルアクサーモスクに対するイスラエルの挑発がいつも紛争の種にある、との意味を込めている。パレスチナのハマースはといえば、「アラブの春」の際に盛んに名づけられた「怒りの日々」という呼称を使う。「アラブの春」が、独裁に対する市民、大衆の怒りを土台に展開したという、市民社会的なイメージを強調してのことだ。一方で、パレスチナ人がイスラエル市民をナイフで切りつける、という事件を取り上げて、「ナイフ・インティファーダ」という名前も出回っている。
この「蜂起」、名前がまだないだけではなく、これまでのインティファーダとさまざまな点で差異が見られる。まず、パレスチナ側もイスラエル側も、組織的なものというより住民レベルの個別的衝突が同時多発的に起きている、ということ。イスラエル側は入植者の独断的行動が目立つし(イスラエルの元議員で和平派のウリ・アブネリは、「イスラエルで今一番力を持ち国家を乗っ取ろうとしているのは、イスラエルの入植者たちだ」と苦言を呈している)、パレスチナ側は、ハマースもPLOも指導者として頼るに足らず、と公言してやぶさかでない若者が中心だ。
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