コラム

エジプトの「不愉快な現実」

2013年08月21日(水)20時35分

 エジプトが混沌としている。

 断食月明けの祝日が終わった直後の8月14日、軍は一斉にムルスィー前大統領派の強制排除に乗り出し、1週間で800人以上の死者を出した。衝突はその後も各地で続き、外出禁止令が発出され、20日にはムスリム同胞団の最高指導者ムハンマド・バディーア氏が拘束された。その前日には、ムバーラク元大統領の保釈可能性が浮上している。これはいったい何だ? 2年半前に転覆した旧体制を復活させることなのか?

 混乱しているのは、事態の展開ではない。それを見つめるエジプト、および中東の知識人や活動家たちの言説である。7月の軍クーデター以降同胞団系のメディアは閉められているので、エジプト国内メディアのほとんどが軍に支えられた暫定政権支持派だろうが、その同胞団に対するバッシングは、凄まじい。同胞団=テロリスト、ファシスト、独裁、といった常套句が溢れ、「同胞団は終わった」と主張する。

 すでに暫定政権側は、同胞団壊滅が視野にある。だから国際社会がいかに「同胞団との調停を」と要求しても、受け入れられない。「調停」や「共存」を求める国際社会は不当な介入でしかない、と糾弾し、ムルスィー下ろしを「クーデター」とみなす欧米を激しく批判する。『エジプシャンガゼット』などの国営紙が同胞団を叩く際、「同胞団は米国やイスラエルとつるんでいる」と述べているのには、苦笑せざるを得ない。

 軍が自己弁護のためにさまざまなレトリックを弄しているなら、わかる。ムパーラク時代に支配エリートの一角であった軍が、民衆の反ムルスィー感情を利用して地位を再確保しようという動きととらえれば、今の事態も全く不思議ではない。理解できないのは、左派系、リベラル系知識人がほぼこぞって、同胞団叩きの論理に乗っていることだ。彼らの「イスラーム主義=テロ」という固定観念は、実に根強い。筆者が20年前、オウムによるサリン事件の直後にエジプトを訪問した際、出会う人ごとに「エジプトもイスラーム主義者がいて苦労しているから、テロの恐怖はわかるわあ」、と「共感」されたことを思い出す。

 左派系活動家のなかには、軍と旧政権の復活に警鐘を鳴らす者がいないわけではない。だが、革命社会主義者を自認するフサム・ハマラーウィはこう言う。「左派系で同胞団に対抗できる組織がなかった。だから民衆が同胞団の代わりに軍支持にまわるのは仕方がないじゃないか?」2年前の「革命」の火付け役だったワーイル・グネイムもまた、「同胞団が問題だったので、これが取り除かれたからよかった」と述べる。

 ムバーラク政権時代に、「米国の手先」として投獄されたこともある民主化研究の大家、サアッディーン・イブラヒームですら、こうだ。「同胞団はあと20年立ち直れないだろう。・・・・我々は同胞団の青年層を取り込み、社会復帰させ、エジプトの政治生活の主流に同化しなければならない。旧世代の(同胞団の)指導者たちはこうした若者の情熱を利用し、彼らを騙して地獄の入り口に放り込んできたのだから」。

 こうした同胞団への反発には、「野党だったときにはいいけど、与党になったらてんでダメ」という、わかりやすい説明があてはまらないわけではない。クーデター直前に行われた米ギャロップ社の世論調査では、自由公正党(同胞団の政党)への支持率が2012年年頭の67%から2013年4月には19%に低下している。さらにいえば、「革命」後の2011年8月時点でも支持率は15%しかなかったので、この調査結果に基づけば、「同胞団は民衆に支持されているわけではない、ムルスィー下ろしで集まった2200万人の署名のほうが大きい」という、反ムルスィー派の論理は荒唐無稽ではない。

 だが、根本的な問題は、今のエジプトで国民の多くが納得のいく正統性を主張することが、誰もできないことだ。反ムルスィー派の知識人は、選挙という数の論理を否定した以上、それに代わる統治の正統性を提示できていない。前述のワーイル・グネイムは、「路上にどれだけ人が集まるかが正統性のカギ」と述べているが、直接民主主義への強烈な憧れだけでは、対立する両者がそれぞれ主観的に「大衆の力」を強調して正統性を取りあうだけになってしまう。

 こうなると、エジプトで起きたことは民主主義のあり方自体を問うものだ。だからこそ、世界中で中東研究者の意見が割れている。「アラブの春」を最も適切に予見し、その性格を見抜いた社会学者のアーセフ・バヤートと、同じくエジプトの労働運動研究の専門家であるジョエル・ベイニンは、上に引用したエジプト人知識人たちと同様、「選挙だけが民主主義ではない」と言い、軍依存もやむない部分があるとする。反対に、中東通ジャーナリストの第一人者であるイギリスのロバート・フィスクは「支持率が半数以下だったからといって、ヨーロッパで軍が政府を倒すか?」と言い、ミシガン大学のホアン・コール教授は、イスラーム主義者を殲滅することは絶対できないと、実例を縷々並べる。アメリカの近代日本研究者たるイアン・ブルマまで中東メディアの論壇に登場し、「都市の西欧近代知識人対地方の貧困層の対立は、アジア諸国が古くから抱える問題」と述べて、イスラーム抜きで中東の民主化はあり得ない、とアドバイスしている。

 そう、根幹には世界中が「古くから抱えてきた問題」があるのだ。世界が解決保留にしてきた問題が爆発する今のエジプトは、皆正視したくない。だがこの「不愉快な現実」を乗り越える知的努力がどこかでなされなければ、民主主義に明るい展望は抱けない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

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