コラム

エジプト新政権の古い政略

2012年12月07日(金)12時23分

 エジプトが、再び燃えている。

 11月30日、憲法制定委員会が新憲法草案を可決、ムルスィー大統領はその草案を巡る国民投票を12月15日に実施する、と発表したからだ。以後、毎日のように、カイロやアレキサンドリアなど、各地の主要都市で反対デモが繰り広げられている。

 憲法制定委員会は、昨年末に行われた制憲議会選挙で選出された議員によって構成されており、選挙結果を反映して、自由公正党とヌール党のイスラーム主義勢力が圧倒的多数を占める。そのため、憲法内容はイスラーム志向の強いものとなり、世俗派、リベラル派は真っ向から反対だ。そもそもこの制憲議会自体が、昨年末の選挙自体が違憲だ、として、最高裁から違憲判決を受けている。それを理由に、軍最高評議会は制憲議会の解散を命じたが、今年6月に大統領選に勝利したムルスィーはこれを却下、解散命令もどこ吹く風で憲法策定作業を進めてきた、というわけだ。

 だが、この反対の高まりは、憲法がイスラーム化することへの糾弾というよりも、着々と権力独占を図るムルスィーへの批判だと言ったほうがいいだろう。実際、反ムルスィー・デモが激しくなったのは、憲法草案発表に先立つ11月22日、大統領決定を司法の手から不可侵とする、という大統領令を発出してからだ。新憲法草案が提示される前に、制憲議会を違憲とする現在の司法界が新憲法の違憲性を言い出しても、憲法制定を強行できるように措置したのである。これが、大統領独裁として批判対象となった。新憲法でも、大統領任期を8年と、ムバーラク政権時代の5年から大きく伸ばした。

 こうした状況をみると、「アラブの春」後の政治構造が、ひとつ段階が変わったなという印象を受ける。ムバーラク政権崩壊から今年の6月までは、旧体制対新体制というせめぎあいだった。旧体制的なものをどこまで残すか、イスラーム政権が成立したとしても旧軍関係者が権力を維持するより良い、というのが、昨年末の議会選挙と今年5-6月の大統領選の結果だった。だが、今の対立項はそこにはない。新体制だったはずのムルスィーが旧体制と同様に独裁化しているではないか、という批判だ。

 そうした「昔ながらの独裁」を彷彿とさせるエピソードが、大統領選の元対立候補に対する対応に見られる。12月、新たに任命された検事総長が、ムルスィーの政敵たちを軒並み訴追する方針を打ち出したのである。バラダイ元IAEA事務局長やハムダーン・サッバーヒー・カラーマ党党首、アムル・ムーサ元アラブ連盟事務局長にサイエド・バダウィ・ワフド党党首と、そうそうたる顔ぶれが訴追対象に挙げられている。サッバーヒーやアムル・ムーサは前回の大統領選でムルスィーと争った相手で、ムルスィーが大統領令を発した後にはサッバーヒーやバラダイは合流して、国民救済戦線という世俗派連合を結成した。

 「昔の独裁」が顔を出すのは、訴追理由である。「イスラエルと陰謀を練っていたから」。これぞ、古今東西のアラブ民族主義政権が政敵を追い落とすときに使った理由だ。あのイラクのサッダーム・フセインも、シリアのアサド親子も、「イスラエルのスパイ」と称して、多くの反政府活動家を処刑してきた。処刑された人々のなかには、イスラーム主義者も少なくなかった。それが、イスラーム主義のムルスィー政権が同じ理由で同じことをしようとしている。

 体制を旧から新にひっくり返すのは、素朴に大量の群集が集まればよかった。だが、政争の悪癖を新しいものに変えるのは、まだまだ時間がかかりそうだ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ニューカレドニアの観光客救出、豪・NZが輸送機派遣

ワールド

イランのライシ大統領、生存は絶望的に 墜落ヘリ残骸

ビジネス

午前の日経平均は反発、3万9000円回復で上昇に弾

ワールド

原油先物は上昇、イランのヘリ不時着や米の戦略備蓄補
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story