コラム

『イングロリアス・バスターズ』はなぜヘナチョコ青年ばかりなのか

2009年10月22日(木)16時41分
『イングロリアス・バスターズ』はなぜヘナチョコ青年ばかりなのか
筆者とイーライ・ロス


『イングロリアス・バスターズ』はアメリカだけで1億2000万ドルを売り上げて、クエンティン・タランティーノにとって『パルプ・フィクション』以来の大ヒットになった。ディズニー傘下から独立してから鳴かず飛ばずのワインスタイン・カンパニーもなんとか首がつながったようだ。

『イングロ~』はなぜヒットしたのか? ひとつは、アメリカ中のユダヤ人が劇場に集まったからだと思う。

 舞台は第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ支配下のフランス。密かに潜入したユダヤ系アメリカ人だけの米軍特殊部隊「栄光なき野郎ども(イングロリアス・バスターズ)」がナチを殺しまくる。殺した後でアパッチのように頭の皮を剥ぐ。それだけじゃない。バスターズは最後に世界中のユダヤ人が夢に見てきたことを実現してしまう! 

 映画館で観た時は、平日の昼間なので客は老夫婦ばかりだったが、クライマックスではご老人たちが拳を突き上げて「イエーッ!」と歓声を上げていた。なかにはユダヤ系の人もいただろう。

 ところがタランティーノの母はチェロキー・インディアンで、父は赤ん坊の頃に生き別れたイタリア系だ。ユダヤと縁もゆかりもない彼が、どうしてこんなユダヤ系の怒りが憑依したかのような映画を作ったのか。

「ユダヤのことはみんな僕が教えたんだよ」

 先日、インタビューで会ったイーライ・ロスはそう言った。彼は『キャビン・フィーバー』『ホステル』などのホラー映画で知られる映画監督だが、『イングロ~』では俳優としてユダヤ系部隊の一人を演じている。タランティーノとロスは私生活でも兄弟分のように仲がいい。

「クエンティンが『イングロ~』の脚本を書くとき、僕はユダヤ人に関する部分を監修してあげたんだ」

 イーライ・ロスはタランティーノにユダヤの風習や文化や歴史を教えた。ロス家での過ぎ越しの祭にも招待した。そこでタランティーノはロスの家族や親戚から話を聞いて、ユダヤ人の悲しみと怒りを理解していった。

「ユダヤ系は誰でも1人は親戚をナチに殺されているからね」

 ロスが演じるドノウィッツ軍曹は野球のバットでナチの兵士の頭を叩き割る。そのバットには何やらビッシリと文字が書かれている。

「あのバットの話は本編ではカットされたけど、ちゃんと撮影したんだよ。ドノウィッツ軍曹はボストンのユダヤ人街の床屋の息子なんだ。で、戦争に行ってナチと戦うことになって、ユダヤ人街の人々があのバットに寄せ書きするんだ。これで家族や親戚の仇を討ってくれとね」

 ドノウィッツはナチから「ユダヤの熊」と呼ばれて恐れられている。イーライ・ロスはたしかに毛深いけれど熊とは程遠い優男。他のバスターズの面々も、やせっぽちで、気が弱そうで、ひと言で言えば典型的なイジメられっ子タイプの青年ばかり。

「そこが面白いんだよ。バスターズなんて名前だからゴツい奴らだろうと思うと、出てくるのはヘブライ語学校の生徒みたいな兄ちゃんなんだ」

 カソリックの子供が日曜学校に、日本の駐在員の子供が日本語補習校に通わされるように、ユダヤ系の子供はヘブライ語学校に行かされる。

「クエンティンはわざとユダヤ系のステレオ・タイプみたいな男ばかり選んだ。たとえば......ウディ・アレンみたいな。ユダヤ系といえば弱っちいイジメられっ子、またはコメディアンだと思われている。そのイメージはハリウッド映画によって作られたんだけどね」

 ハリウッド映画にもたくましくて男らしいユダヤ人はいっぱいいる。カーク・ダグラスや、ポール・ニューマン、ジェームズ・カーン、ハリソン・フォード......。

「でも、彼らは映画では決してユダヤ系を演じない。奇妙な話だよ。だってハリウッドはユダヤ系が作ったのに、自分たちのイメージをヘナチョコの道化者に固定しようとしたんだ」

 それは迫害から身を守るための防衛手段だったのかもしれないが。

「だから僕はこの役でユダヤ人のステレオ・タイプをぶち壊したかった。焼け落ちるセットの中の銃撃戦はCGなんか使わない命がけの撮影だったけど、虐殺された600万人の同胞のために頑張ったよ」

 イーライ・ロスはこの役で映画史に残るだろう。なにしろ、トム・クルーズさえできなかったことをやっちまったんだから!

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

小泉防衛相、中国軍のレーダー照射を説明 豪国防相「

ワールド

米安保戦略、ロシアを「直接的な脅威」とせず クレム

ワールド

中国海軍、日本の主張は「事実と矛盾」 レーダー照射

ワールド

豪国防相と東シナ海や南シナ海について深刻な懸念共有
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 6
    「搭乗禁止にすべき」 後ろの席の乗客が行った「あり…
  • 7
    仕事が捗る「充電の選び方」──Anker Primeの充電器、…
  • 8
    ビジネスの成功だけでなく、他者への支援を...パート…
  • 9
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 10
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 6
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 7
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 8
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 9
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 10
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story