コラム

よみがえる「官僚たちの夏」?

2010年03月11日(木)17時46分

 経済産業省の産業構造ビジョンについての報告書が話題になっている。官僚たちの「日本経済の行き詰まり」についての分析が、意外に(?)的確だからである。ところが、その行き詰まりを打開する政策となると、その分析とは無関係な「ターゲティングポリシー」がいきなり出てくる。これは経産省としてはしょうがないのだろうが、今の若手の官僚には、かつてのターゲティング政策の失敗が継承されていないのではないか。

 1960年代には、城山三郎の小説『官僚たちの夏』に描かれるように、通産省は「日本株式会社」のエンジンだと思われていた。70年代に通産省の行なった「超LSI技術研究組合」が成功を収め、日本の半導体産業は世界のトップに躍り出た。これによって特定の「戦略産業」を補助金で育成するターゲティング政策(産業政策)が世界から注目され、通産省は続いて「第5世代コンピュータ」や「シグマ計画」などの「大型プロジェクト」を実施した。前者は10年間で570億円、後者は5年間で250億円という、当時としては最大規模の国策プロジェクトだった。

 第5世代プロジェクトには、主要な国産コンピュータ・メーカーから優秀な技術者が出向し、10年間にわたって人工知能(AI)の共同開発を行なった。シグマ計画は、日本のソフトウェア技術者が共有できるツールを開発しようというプロジェクトだった。しかし結果としては、第5世代は産業としての成果は全く生み出さず、シグマ計画はプロジェクト自体が空中分解して、今はその痕跡も残っていない。

 こうしたプロジェクトの最大の問題は、それが失敗したことではなく、業界全体をミスリードしたことだ。1980年代は、IBMに代表される大型コンピュータの時代が終わり、パソコンが急速に成長した時代だった。ところが通産省が「大型機の次に来るのはAIだ」という方針を決めて、業界を「指導」した結果、日本のコンピュータは大型機から脱却できす、時代遅れになってしまった。パソコンはNECのPC-9800を初めとするローカル標準で、世界には売れないため、日本のコンピュータ業界は、90年代には世界市場から取り残されてしまった。

 この「失われた10年」の間に、台湾や韓国やシンガポールは、パソコンの生産基地として欧米メーカーに部品を大量に供給し、「世界の工場」としての地位を確立した。これに対して日本は、多くのメーカーが国内向けに多くの商品を少量生産していたため、規模で対抗できず、技術開発でも追いつけなくなり、かつては世界最大の生産量を誇った半導体メモリーも没落してしまった。

 その後は通産省もこりて、ターゲティング政策はやめたのだが、こうした政策の事後評価が行われず、失敗の教訓が継承されていないため、最近また「情報大航海プロジェクト」などのターゲティング政策が始まった。そのプロジェクト・リーダーが「シグマ計画の教訓をどういかすのか」とメディアに質問されて、「シグマ計画って何ですか?」と問い返したという。案の定、大航海プロジェクトは今や空中分解だ。

 ハイテクの世界では失敗は日常茶飯事であり、恥ずかしいことではない。シリコンバレーのベンチャーの10件に9件は失敗である。問題は、ベンチャー企業は失敗したら会社を解散して人材も資金も別のところに移り、その失敗の教訓を生かして新しいベンチャーに挑戦できるが、国策プロジェクトでは失敗が許されないことだ。前の大航海プロジェクトのリーダーは「失敗したらどうするのか」という質問に「失敗は想定していない」と答えたそうだ。

 政府の行なうプロジェクトに失敗はあってはならないので、もうだめだなと思っても、第5世代のように10年も続けられ、国内でもっとも優秀なコンピュータ技術者が、30代のもっとも大事な時期を何も生み出さずに終わってしまう。人材も金も浪費され、産業全体が間違った方向に走っていることに気づかない。それに気づいたときには、もう世界から10年以上引き離されている――そういう失敗を、日本はまた「環境産業」で繰り返そうとしているようにみえる。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

自然破壊阻止へ各国政府は行動強化を、100社以上の

ビジネス

米ゴールドマンが初のアジアPEファンド20億ドル、

ワールド

欧州委、非公式会合に委員派遣せず 議長国ハンガリー

ビジネス

米ディズニー、社内チャットツールからデータ流出=W
MAGAZINE
特集:まだまだ日本人が知らない 世界のニュース50
特集:まだまだ日本人が知らない 世界のニュース50
2024年7月16日/2024年7月23日号(7/ 9発売)

日本の報道が伝えない世界の仰天事実。世界の今が見えるニュースクイズ50

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 2
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過ぎ」で話題に
  • 3
    ドイツ倒産件数が前年同期比で41%増加...予想大幅に上回る=独紙
  • 4
    着陸する瞬間の旅客機を襲った「後方乱気流」...突然…
  • 5
    タンポンに有害物質が含まれている...鉛やヒ素を研究…
  • 6
    シャーロット王女の的確なアドバイス...「ボスの風格…
  • 7
    北朝鮮の「女子アナ」がショック死 「内臓がはみ出し…
  • 8
    トランプ氏銃撃事件を受け、ドル上昇・米国債下落...…
  • 9
    これからの蚊対策は「殺さず吸わせず」 痒いところ…
  • 10
    「これは真剣なやつだよ」...キャサリン妃の「マジメ…
  • 1
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 2
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過ぎ」で話題に
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    ロシアの巡航ミサイルが「超低空飛行」で頭上スレス…
  • 5
    北朝鮮の「女子アナ」がショック死 「内臓がはみ出し…
  • 6
    テネリフェ島で発見された70万年前のトカゲ化石、驚…
  • 7
    着陸する瞬間の旅客機を襲った「後方乱気流」...突然…
  • 8
    ドイツ倒産件数が前年同期比で41%増加...予想大幅に…
  • 9
    シャーロット王女の的確なアドバイス...「ボスの風格…
  • 10
    ロシアの隣りの強権国家までがロシア離れ、「ウクラ…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 5
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 6
    新型コロナ変異株「フラート」が感染拡大中...今夏は…
  • 7
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過…
  • 8
    携帯契約での「読み取り義務化」は、マイナンバーカ…
  • 9
    爆破され「瓦礫」と化したロシア国内のドローン基地.…
  • 10
    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story