World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

今、混沌としたミャンマーを映画製作という観点から俯瞰する

筆者がプロデューサーとして手掛けた2作品

おはようございます。
ヤンゴンではもうすぐ雨期が終わるというような時期なのですが、このところ一日の中で長く雨が降る日が続いています。
もうすぐ乾季が来て一年で一番過ごしやすい時期なのですが、今からその期間が待ち遠しいです。

今回は(一応)映画プロデューサーとして今のミャンマーで映画を作るという事が出来るだけ客観的にみてどういうことなのかという事を考えていきたいと思っています。
今のミャンマー(ヤンゴン)での映画製作という事を通してこの国の現状が少しでも読者の皆さんの参考になれば幸いです。

本題の前にお知らせです。
毎週水曜日の夜21時から行っている配信『ミャンマー言いたい砲台ラヂオ』
是非こちらも聴いていただきたいのですが、合わせて毎週連載しています放送後記もよろしくお願いします。

それでは本題です。
そもそも映画プロデューサーとしてなんぼのもんじゃいと思う方もいらっしゃる(というかそういう人がほとんど)と思うので最初に断っておきます。
華々しい成果などは無いので非常に偉そうな物言いになってしまうとは思うのですが、曲がりなりにも2本の短編映画をヤンゴンで製作した事と、ミャンマーで様々な動画制作に携わった経験を基にお話させていただことう思っています。

映画製作を含め過去の活動などをざっくりまとめた記事があるので良かったらそちらもお読みになってください。

現状ミャンマー全体の表現活動についてはどう考えても正常とは言えません。
先日、米人権団体のフリーダムハウスが10月4日に発表した「インターネットの自由度(2023年版)」でミャンマーはワースト2位。
2014年からこの国住み、民主化、自由化への大きな流れをミャンマーの人たちと一緒に享受してきた私としては忸怩たる思いがあるところです。
クーデター直後は一日の中でネットに接続できる時間が制限されていたり、そもそも携帯電話でのインターネットが完全に遮断されていたりと無茶苦茶でした。
現在も様々な制限がインターネットにかかる中で国民は何とかインターネットを使っている状況です。

当然様々な表現活動にも制限があります。
そんな中でも映画というのは非常に厳しい監視がある業界だと思います。
2011年以降の民主化の動きの中でも行われていた検閲。
そもそも検閲がある事自体がどうなのだという事ではあるのですが、クーデター前でも表現については厳しかったところがあります。

映画の興行には少なからず軍系の企業が関わってくることもあり、今は更に表現の自由というのは皆無と言っても良いのではないでしょうか?
とはいえ、国民にとって、映画は大事な娯楽要素です。
一時期は閑古鳥が鳴いていた映画館も今では沢山の客で賑わっています。
特に海外の映画は人気な印象があります。

比べて国内の映画はそもそも数がかなり減ったように見えます。
映画人、芸能人にも様々なプレッシャーがかかる中、産業を盛り上げようという力が大きくならないのはどうしようもない事だと思います。
伝手があるクリエイター達は海外に出たりもしているのでしょうか?

私としてはずっと国内外のミャンマー人クリエイター達と組んで世界に通用する映画を作りたいと思っていました。
世界を知らない一回の映画人の私が途方もない夢をぶち上げるもんだと自分でも思いますが、ミャンマーの映像クリエイター達の才能や、この国のポテンシャルを間近で感じてきた私としては決して夢物語ではない挑戦だと思っています。

そして、これまで色んな形で関わって来たミャンマー人の友人たちの夢を繋いでいかないといけないという妙な使命感もあります。
様々な制限はあります。
ですが、世界を見渡せばそんな制限だらけの中から産まれた素晴らしい作品は映画だけにとどまらず沢山あります。
大事な事は最初に創ると決めてしまうこと。
私はそうだと思っています。
思い込んでいます。

そんな時、今から20年以上前に私が関わっていたある物語がふと思い出されました。
何故かはわかりません。
その話は勿論ミャンマーとは何の関係もない話でした。
ですが、何故か凄く私の「今ミャンマーで映画を作る」というテーマにこの物語が引っ掛かってきたのです。

「ちょっと待てよ、もしかしてこの話はここをこうしてこうすれば?」
そう頭を捻らなくても今のミャンマーに通じるような設定に変える事ができました。
もともと自由度の高い話でもあったので更に今のミャンマーを表現するような様々な事柄が私の頭の中で追加されていきました。
そうして出来た物語がエッヂポイントなのです。

これまでミャンマーで形に出来てはいないのですが、色んな映画のアイデアを出してきました。
割と具体的に(脚本の一部を作ったものなど)考えたものも2つ程ありますし、映画製作自体流れてしまったけど、脚本を完成させたものもあります。
ですが、このエッヂポイントのような発想は出てきませんでした。
その時のミャンマーには今のように制限が無かったからです。

映画人としては非常に窮屈で制限のある今のミャンマーだからこそこの映画は産まれたのでしょう。
であればやはり私はこの映画を完成させ世に出さなければならないと考えています。
舞台は一幕劇、撮影場所もほぼ一つで済む設定です。
テーマは決して大きなものではなく少ない登場人物で描かれるささやかなヒューマンドラマです。

ですが、そこに取り巻くものは今のミャンマーを表現するのに充分過ぎるものが入ってきます。
入れようとせずとも入ってきてしまいます。
この作品を観れば日本は、世界は今のミャンマーをどう思うのでしょうか?

私は反戦映画を作ろうとしている訳ではありません。
作りたいのはやはりエンターテインメント作品です。
ですが、今の鬱屈したミャンマーをクリエイターとして無視する事もできません。
無かった事のように作品作りをすることは不可能ではないかもしれませんが、それではこれまで関わってきたミャンマーの映画人たちに顔向けできません。

今もどこかで闘っている仲間がいます。
私も負けていられないといつも彼らに背中を押されているようです。
いつか今これを読んでいるあなたにもこの物語を届けたいと思います。
どうか応援してください。

それでは、また。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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