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アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

ネオリベラリズム再来のアルゼンチン。新大統領ハビエル・ミレイ氏就任


過去のアルゼンチンにおけるネオリベラリズム

1980年代以降、ラテンアメリカ諸国はそれ以前の国家介入型の経済政策から一転して「ネオリベラリズム」による市場開放経済政策を採用した歴史があります。これは今アルゼンチンが進もうとしている方向でもあります。率先して進めたのはチリで、1973年に軍事クーデターで政権を握ったピノチェト政権でした。

その結果、90年から99年にかけてのアルゼンチンの失業率は90.7%と2倍近くまで高騰。急激な失業率の悪化に、どのくらいこの時期の新自由主義的政策が関わっていたかと言うと、その一因は民営化にあったと言われています。

アルゼンチンで89年にメネム政権が発足した当初、年率4923%という未曽有のインフレに見舞われていました。鉄道、電話、通信電信、石油、電力、軍需、製鉄などの主要国営部門を中心に民営化が進められました。

民営化前に国営企業が擁した約35万5千人の従業員のうち、国営部門に残った約6万5千人を除くと、総離職者数は約28万人に達しています。(うち、民営化後の同一産業部門に再就職できたのは約11万5千人。)

その他にも貿易の自由化を進めたことも理由のひとつとして挙げられるでしょう。

アルゼンチンで維持されていた平均関税率30%は89年に20%までに引き下げられ、その結果海外からの工業品の輸入が急増、従業員100名以上の企業数は、1985年から1994年にかけ18.5%の減少、1990から95年に工業部門の就労者数は193万人から166万人へと減少しました。

同時に、解雇保障の義務を伴わない試用期間を定めた雇用やパートタイム雇用を法制化・短期雇用を奨励し、数字的には雇用は拡大したとされていますが、現実には職業とは言えないような仕事(行商や車の窓ガラス拭き)などで生計を建てる人々も含まれており、スラム街の拡大にも繋がりました。

このような就労状況のもと、犯罪件数がその10年の間で2倍となり(約105万件)、新自由主義への反対運動が盛んに展開されるようになりました。

最終的に2001年には国民が銀行口座からお金がおろせなくなるなど、経済大危機に見舞われたアルゼンチン、死者も多く出したデモの末、当時の大統領が辞任する際は大統領府からヘリコプターで脱出せざるを得なくなるという恥ずかしい歴史を持っています。

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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