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NYで生きる!ワーキングマザーの視点

ベイリー弘恵|アメリカ

ニューヨークで働くということ〜私編 その1

2010年のタイムズ・スクエアにはTOSHIBAのロゴが掲げられていた © 2020 NY1page.com LLC.

90年代の就活について

私は、ニューヨークへ渡ってすぐに働くチャンスを得ることとなった。というのも、働かないと生活できないくらいの貯金しか日本を出るときから持ってなかったからだ。旅行者のビザでオーバーステイしないように気をつけながら、今のようにインターネットで応募できる時代ではなかったため、あちこちのジョブ・エージェンシーをまわり、レジュメを渡して登録していった。ジョブ・エージェンシーが紹介してくれて、会ってくれるという会社は全て面接に行った。

まだ20代だったこともあり、チャンスに恵まれたし、日本でITのキャリアがあったことは助けにもなった。しかも英語は、たいしてしゃべれなかったので、業種を選べるなんて立場でもない。大手銀行さん、メーカーさん、日系リムジンの会社さんに家具の会社さんなどなど、ありとあらゆる企業を訪問させていただいた。

最初に入れてもらえた会社は、日本人の社長がアメリカで起業したPCのパーツなどを取引する貿易の会社だった。ようやくH1-Bビザを取得して働き始めたころ、なんと不運なことにこの会社が倒産してしまったのだ。面接をしてくれた方が、「あまり景気が上向きではなく、かなり窮地に立たされている」という話をされていたのだけど、私は英語がそんなにままならなかったため、正直いうと事情を説明されたことさえわかっていなかった。

私が当時お世話になった日系のジョブエージェンシーとっておきの二社。今もiiiNY CEOの藤原さんやブレマー美奈子さんとメッセージを交換することもある。私がNYへ移住したばかりの時、とても親身にサポートしてくださったお二人。
アイアイアイキャリア
ブレマーアソシエーツ(URL不明なのでブレマーさんの記事にリンク)

Nov72020a.jpg© 2020 NY1page.com LLC.

再び就活のため路頭をさまよう

まだ3ヶ月ほどアメリカで働いた状態では、振り出しに戻ったようなものだった。前回と同じように、ジョブ・エージェンシーを転々としレジュメを配る日々。そして面接もあちこちで受けてまわった。本当に今も感謝しているのは、退職金代わりだといって古いデスクトップのPCを倒産した会社の社長から、譲り受けたこと。ボーイフレンドたちがIT系だったおかげで、彼らからPCの組み立てを教わることもできた。

持つべきものは、ITと英語のできるアメリカ人のボーイフレンド!これがその時の信条でもあった。PCのパーツと知識という本も入手し、ITの知識と英語は、職探しをしている期間にメキメキと上達していった。日本人男性のルームメイトと二人で住んでいた薄暗い半地下のアパート(まるでパラサイトの映画に出てくるようなアパートだった)で、CDドライブをつけてみたり、メモリーを増設したりと、毎日のようにPC組み立てに没頭する日が続いた。

私が住んでいたイーストビレッジの7ストリート、アベニューAあたりは、今でこそオシャレな雰囲気の若者の街なのだけど、当時は酒におぼれたホームレスが、階段からひっくり返って落ちてきたこともあるほど危険なエリアだった。家の前で管理人のラテン系の兄さんと話していると、ドラッグでイカれた兄さんが、割り込んで話しかけてきたりということも日常茶飯事。家の半地下へ降りる階段で見ず知らずの若い兄さんが、マジック・マシュルームをキメていたこともあった。

マジック・マシュルームなんて、何かよくわかってなかったので、「君もやってみる?」と聞かれ、「そんな得体の知れないキノコを食べるほど、私は貧しくありません」と丁重にお断りした。

PCの内部がようやくわかって、自分で組み立てられるくらいにレベルに到達したころ、某大手日系商社系のIT会社でプログラマー・アナリストとして採用いただいた。マジック・マシュルームではないけど、マジックというイスラエルで開発されたプログラムツールで、アカウンティングやインベントリーのパッケージ・ソフトをカスタマイズしたりディベロップするというのが仕事だった。

データ・エラーを起こすと、たいていお客さんであるアメリカ人のアカウンティングやセールスから直接、私に電話連絡が入り、リモートでサポートしていた。トラブルシュートが終わるなり、「ヒロエは、まるでマジシャンだね!」とマジックというソフトウェアにかけてジョークをよく言われていた。

こうしてプログラマーとしての仕事は順風満帆ではあったが、プライベートで妊活していたこともあり、子供ができてからは、育児のためいったんITの業界からはなれることとなった。しかし10年ほどたって、子供たちも育ってから再びITの業界へ戻ろうと試みることとなる。日本では40代ともなると職場復帰は難しいらしい。職探ししていた友人の姉が40代だったころ、「なぜ世の中は私たちに掃除ばかりさせたがるの?」って、ぼやいていたそうなので。ニューヨークでは、キャリアさえあれば再就職のチャンスはやってくるのであった。

そのお話は、また次回のブログにて

【関連リンク】
CompTIA A+ →ヘルプデスクとして基礎的技術を持っていることは、同Certificateをテストを受けて取得することができる。
食べると危険マジック・マシュルーム
NY州 Department of Laborのサイト(ここに登録して就活したこともある)

 

Profile

著者プロフィール
ベイリー弘恵

NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。

NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com

ブログ:NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

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