「お茶を一服いかがでしょうか?」...飲み物に畏敬の念を込める日本とジョージアの共通点
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<日本の茶室とジョージアの宴に通じる「一期一会」の精神について>
これまで何度か茶事(ちゃじ)に出席してきたが、日本に暮らしていれば、お茶とは無縁ではいられない。茶道部のある学校も少なくない。しかし、それでも野球やサッカーのように大勢の人々に日常的に親しまれているわけではなく、実際に茶道をたしなむ人は限られているのが現実だ。
多くの場合は、家族の誰かが習っている、あるいは縁あって学び始めたという人でなければ、「伝統文化」として遠くから眺めるだけにとどまっている。
私自身も例外ではない。これまで茶道に触れる機会といえば、観光客向けの体験や、外交官として参加した公式行事に限られていた。
だからこそ、長年、日本に暮らしながらも、茶道はどこか「町内会の掲示板」のような存在で、身近でありながらも手が届きにくい印象を拭うことができなかったのだ。
そのイメージが大きく覆されたのは、近所に暮らす、雅子さんの「レジャバさん、お茶を一服いかがでしょうか?」という一言だった。
何事にも好奇心から素直に首を縦に振る私は、その時もごく自然に「はい」とうなずいていた。もっとも「お茶を一服」という言葉が実際には何を意味するかについては、その瞬間は全く想像もついていなかったのだが......。






