戦後の「天城山心中」の時代にも繋がる、今は価値観が激変する「危機の時代」
当時は、見合い結婚と恋愛結婚が並存していた頃で、相思相愛の間柄であっても結婚を認めてもらえず、無理心中に至る若い男女もいただろう。これなどは「古い考えとの断層」の典型だ。
2番目の「モラル過度期の悲劇」についても分かる。戦争が終わって10年ほどしか経っていない当時は、戦前と戦後の新旧の価値観が混在していた、まさに「モラル過度期」だった。こうした状況のなか、生きる指針に困惑した青年も多かったはずだ。当時の青年の自殺動機をみると、最も多いのは「厭世」。世の中が厭(いや)になった、ということだ。
現在も「激変の時代」
「激変の時代は危機の時代」。こういう言い回しを何かの本で見た記憶があるが、「激変の時代」というのは今も同じだ。情報化・グローバル化はますます進展し、生成AIの台頭により長らく続いてきた人間の役割が大きく変わろう(喪失しよう)としている。人々の生き方の変革を促すような地殻変動が進行中と言っていい。
ITやSNSに馴染んでいるかという点で、世代間の断層も大きくなっている。同性愛や婚外出産といった、新しいライフスタイルへの容認度もそうだ。
今回紹介したのは70年前の昔話だが、現在ないしは近未来の問題にも通じるところがあるかと思う。社会の不安定な状況の影響を最も被るのは、生き方の選択を決めるステージにある青年層だ。留意すべきは、下の世代の新しい生き方を受容することだ。それは社会を揺るがすのではなく、社会を変革することにつながる。
<資料>
厚労省『人口動態統計』