ドヤ街「山谷」に集まる中国の若者たち...36年前の記録
地元警察によると、ここの「日雇い人夫」の数は5年前(1981年)に比べて半減した。前科のある人が多く、しかも偽名を使っているという。
出身や目的にかかわらず、この地に集まる人々は、運命が似ており、境遇が同じであるため、互いに助け合い、支え合っているそうだ。
彼らの間には暗黙の了解がある。互いに干渉せず、しかしながら共に守り合い、外部の者が「妨害」に来ると、彼らは期せずして集団で対抗するだろう。
警察やマスコミ関係者も、この場所に簡単には足を踏み入れない。彼らは自分たちを見下す「好奇者」やトラブルを持ち込む人々を容認できないそうだ。
外国からの留学生が彼ら山谷の労働者の世界に入り込み、仕事を奪うことは、彼らをそれほど怒らせることはないようだ。突然現れた若い仲間たちを、冷たくもなく、温かくもない、むしろ平等な態度で迎えているという。
社会的に差別され、見捨てられた階層では、国際的な「平等」と「人情」が最も明確に現れるのかもしれない。
ある上海の青年はこう語った。
「私はここでの仕事や、人々が好きです。給料は高く、仕事は楽しく、複雑な人間関係は存在しません。どんな人であろうと、すべては自分の仕事の態度にかかっています。しっかりと働けば、後々、仕事をまた得られるでしょう。
実を言うと、私は一時期、工事現場の警備隊の隊長を務めていました。その時、20人以上の日本人を管理していましたが、彼らは私の指示を素直に聞いてくれました。私は信頼されて、この警備会社の部長も私の身元保証人になってくれました。
もちろん、中国人を雇いたくない雇い主もいます。それは一部の中国人就学生の仕事ぶりが不真面目で、悪い印象を与えたからです」