最新記事
アート

『大吉原展』炎上とキャンセルカルチャー

A Tragedy of Cancel Culture

2024年4月12日(金)14時48分
北島 純(社会構想大学院大学教授)
大吉原展

喜多川歌麿『吉原の花』 WADSWORTH ATHENEUM MUSEUM OF ART, HARTFORD. THE ELLA GALLUP SUMNER AND MARY CATLIN SUMNER COLLECTION FUND

<脳科学者の茂木健一郎氏や漫画家の瀧波ユカリ氏の指摘で炎上した東京芸大美術館の『大吉原展』。「遊女の性的搾取軽視」とSNSで猛批判されたが、主催者は本当に無自覚だったのか>

美術展の初日は雨だった。3月26日から東京芸術大学で始まった『大吉原展』の初日、担当学芸員の古田亮・大学美術館教授の目には戸惑いが浮かんでいるように見えた。

吉原の遊郭を描いた江戸期浮世絵を中心に「吉原文化」を正面から題材としたわが国初の大規模展示会である(東京新聞・テレビ朝日と共催)。構想・準備期間は5年。しかし前日の記者会見では、「吉原における売買春」に質問が集中した。著名な脳科学者の茂木健一郎氏や漫画家の瀧波ユカリ氏の指摘を受けて、「遊女の性的搾取」という負の側面を芸大が軽視しているのではないかという批判がSNS上で湧き起こっていた。黒川廣子館長が会見で「開催までこんなにハラハラした展示会はない」と吐露し、薄氷を踏む対応を余儀なくされた。展示作品に実質的な変更はなかったが、展示説明には負の側面への言及が慎重に加えられた。

美術館に向かう道中で目にしたポスターは、当初のショッキングピンクからグレー基調の地味な色彩に置き換えられ、寂しく雨に打たれていた。

ジャニーズ事務所問題の潮流の中で開かれた展覧会

newsweekjp_20240412053801.jpg

福田美蘭『大吉原展』(作家蔵)


江戸時代の吉原で売買春が行われていたことは日本史の常識である。しかし着物・舞踊・浮世絵といった絢爛な江戸文化の神髄が吉原に凝縮されていたことは常識とまではいえない。その認識の差を埋めるべく、展覧会は吉原の文化史的価値に焦点を当てた。

ところが、光の照射は影を生む。人権侵害の側面が強調されることなく、「江戸アメイヂング」や「お大尽ナイト」「The Glamorous Culture of Edoʼs Party Zone(江戸の華やかなパーティー文化)」といった宣伝フレーズが用いられ、あたかも吉原を無批判にもてはやしているような印象を持たれた。

昨年のジャニーズ事務所性加害事件以来、芸能界の人権侵害に耳目が集まり、性的搾取を含めた「現代奴隷制」は「ビジネスと人権」の観点からも世界的に注目されている。その潮流のただ中で開かれた展覧会だ。批判には一定の理由がある。

しかし筆者のインタビューで古田教授は「人が殺される光景を描いた絵画を展示するに当たって、人を殺すことは悪いことだという説明を述べる必要があるだろうか」と疑問を呈した。説明を加えれば、なぜその説明を加えたのかについて更なる説明が要求され、作品自体から遠ざかりかねない。古田教授は昨年11月の段階で企画者としてこうも述べていた。

「近代が切り捨てていったものを、そのままに捉え直してみたいという気持ちから、私はこの展覧会を企画した。遊郭は現在の社会通念からは許されざる制度であり、既に完全に過去のものとなっている。それ故に失われた廓内でのしきたりや年中行事などを、優れた美術作品を通じて再検証したい」

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

オランダ国防相「ロシアが化学兵器の使用強化」、追加

ビジネス

GPIF、24年度運用収益1.7兆円 5年連続増も

ワールド

中国、EU産ブランデーに最大34.9%の関税 5日

ワールド

ウクライナ首都に夜通しドローン攻撃、23人負傷 鉄
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 7
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    「コメ4200円」は下がるのか? 小泉農水相への農政ト…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 5
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 6
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 7
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 8
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 9
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とん…
  • 10
    ロシア人にとっての「最大の敵国」、意外な1位は? …
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 6
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 9
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 10
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中