最新記事

インドネシア

「イスラム法も現代にアップデートを」婚外性交論じた論文、批判殺到で修正へ

2019年9月18日(水)19時25分
大塚智彦(PanAsiaNews)

「右手が所有するもの」の解釈の違い

今回アジズ氏が巻き起こした婚外性交の問題はイスラム教にとって実は古くて新しい問題である。イスラム教の聖典「コーラン」の第23章1〜6節に「信者たちは確かに勝利をつかみ、礼拝に敬虔で、虚しいことを避け、施しに励み、自分の陰部を守るもの。ただし配偶と自らの右手の所有するものは別である。かれらに関しては咎められることがない」とある。

飯山陽著『イスラム教の論理』によるとこれは「イスラム教徒の男性が合法的に性交することのできる相手を定めた章句であり、その相手とは妻と『右手の所有するもの』であると規定しています。この『右手の所有するもの』とは主として、戦争によって敵方から獲得した女たちをさす言葉です」。

つまり戦争で獲得した異教徒の女は奴隷として性交することも認めらており、売却することも認められているのだ。

中東のテロ組織「イスラム国(IS)」が異教徒であるヤズィーディ教徒の女性を奴隷として売買し、性交相手としていたことは流出した資料などから明らかになっているが、こうした行為はイスラム法で認められていることでもあるという。

アジズ氏は博士論文の中でこのイスラム教徒の男性による「右手の所有するもの」に関して言及し、シリア人イスラム思想家のムハマッド・シャフルール氏の提唱する「既婚者が妻以外に女奴隷との婚外性交が認められていることは、奴隷がもはや存在を許されない現代において意味がなく、『右手が所有するもの』は合意に基づく婚外性交に使われる用語であるべきだ」との議論を検証している。

シャフルール氏という思想家はイスラム研究者の中でも異端とされ、伝統的研究者や学者からは批判される考えの持ち主とされている。

大学は「修正要求は学問の自由と無関係」

アジズ氏は論文で、シャフルール氏の思想、解釈に基づいた結論として「イスラム法やインドネシアの家族法は現代の社会に適合するようにアップデートされるべきであり、そこには婚外性交の認可も含まれるべきだ」と主張した。

「ジャカルタ・ポスト」によると同大学の博士課程担当教授は「論文は倫理観と社会常識に基づいて修正されるのであり、学問の自由や表現の自由を侵すものではない」としたうえで「問題はアジズ氏が論文を基に社会に変化を要求したことであり、それは学究の徒の域を逸脱するものである」との見解を示したとしている。

インドネシアではこうした事態の収拾を受けて、この問題に関する報道も話題もほとんど見られなくなった。アジズ氏の博士論文が問うたものはイスラム教徒にとって触れるべからざる「パンドラの箱」だったのだろうか?


otsuka-profile.jpg[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など

ニューズウィーク日本版 大森元貴「言葉の力」
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年7月15日号(7月8日発売)は「大森元貴『言葉の力』」特集。[ロングインタビュー]時代を映すアーティスト・大森元貴/[特別寄稿]羽生結弦がつづる「私はこの歌に救われた」


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

BMW、第2四半期販売は小幅増 中国不振を欧州がカ

ワールド

ロシアに関する重要声明、14日に発表とトランプ米大

ワールド

ルビオ長官、11日にマレーシアで中国外相と会談へ 

ワールド

UAE、産油能力を一段と拡大する可能性も=エネルギ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 3
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 6
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 7
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 8
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 9
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 10
    ハメネイの側近がトランプ「暗殺」の脅迫?「別荘で…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中