最新記事

サイエンス

英王妃の生首は本当に喋ろうとしたのか

Did Anne Boleyn Really Speak After Being Beheaded?

2019年4月25日(木)17時34分
アダム・テイラー(英ランカスター大学上級講師、同大学臨床解剖学ラーニングセンター所長)

イングランド国王ヘンリー8世の2人目の妻、アン・ブリンは1536年に斬首された Public Domain

<人間は、頭と体が切り離されても生き続けることができるのか、歴史に残る逸話の科学的な妥当性を考える>

歴史をひもとけば、首を切り落とされた後も人々の意識がしばらく残っていたという逸話はいくつもある。

例えばフランス革命のさなかの1793年、シャルロット・コルデという女が政治家ジャンポール・マラー暗殺の罪でギロチンにかけられた時のこと。切り落とされた首をそばにいた男が持ち上げてその両頬をひっぱたいたところ、コルデの顔に怒りの表情が浮かび、頬が赤くなったとの目撃談が残されている。

また、イングランド国王ヘンリー8世の2人目の妻でエリザベス1世の母であるアン・ブリンは、斬首刑に処された直後、何かを言おうとする様子がみられたといわれる。

webs190425-anne.jpg
アン・ブリンの処刑 Public Domain

果たしてこれらの逸話は作り話なのだろうか。それとも体と切り離された後も頭部には意識が残りうることを示す科学的証拠なのだろうか。

近年、世界初の人間の頭部移植なるものに世間の強い関心が寄せられたことは記憶に新しい。もしこれが実現すれば、科学のさまざまな分野で新たな局面を切り開くことになるかも知れない(ただし、可能性は増すどころか少なくなる一方だが)。

<関連記事>世界初の頭部移植は年明けに中国で実施予定


中でも注目されるのは、頭(そして脳)が体と切り離されても生き続けることができるのか、できるとすればそれはどのくらいの時間なのかという点だ。

心停止後30分も脳の活動は続く?

脳およびあらゆる神経組織は、酸素がなければ機能できない(脳は人体が消費する酸素の20%を使っている)。首の血管が切断されれば酸素の供給は止まる。血液や組織中に残った酸素を使うことができたところで長くは続かない。

目や口を動かす筋肉もそうだが、脳につながっていなければ人間は体の一部を動かすことはできない。脳からの指令を伝える神経がつながっていなければならないからだ。もっとも、頭だけになっても人間より長い時間、生き続けられる生物もいる。例えば中国では、頭を切断された毒ヘビに噛まれた料理人が死亡した例があるという。この時、ヘビは首を切られてから20分も経っていた。

アン・ブリンがヘンリー8世の王妃になり斬首されるまで


さらに最近、この分野では、死に瀕した時に人間は何を認識しているかという問いに関心が集まっている。心臓発作や心拍停止を経験した人が、蘇生措置を受けている間に自分に何が起きていて病室内の様子はどうだったかを後で証言するというケースもある。これはたとえ心臓が止まっていても、脳は周囲で何が起きているかを認識していることを示している。たとえその時点で、臨床的には意識がある兆候はまったく見られなかったとしてもだ。

心停止の後、30分も脳の活動がみられたことを示す研究もある。この際、検出されたのは脳波のうちデルタ波で、睡眠中やリラックスした状態でもしばしば観察されるものだ。

つい最近、心臓停止の後も脳が活動していることを示す新たな研究が発表された。心停止後、数分経つと脳の広い範囲で「広汎性脱分極」と呼ばれる現象が起き、活動は終わりを告げるという。この時の脳の活動は、脳波計で測れるほど強い。人間以外の生物に関しては、死後48~96時間経っても遺伝子発現などの活動は続いていて、量的に増える場合もあるとの研究もある。

人間については、死後も検出される脳の活動がどんなもので、それが脳の機能や意識的・無意識的な活動とどんな関係にあるのかについて、さらなる研究と分析が必要だ。

ちなみに、首を切られても生存できた事例の中で最も有名なのは、切断後18カ月も生存していた「マイク」の話だろう。いったいどうやって? と疑問に思うのも無理はない。マイクの場合、首を切られた際に脳幹がうまい角度で切断され、体の基本的な機能を制御する中枢神経系の一部が生き残ったらしい。また、タイミングよくうまい場所に血の塊ができたことで、死に至るような大量出血も免れたのだ。

言い忘れたが、マイクはニワトリだった。残念ながら、これが人間で再現される可能性はまずない。人間の場合、最も原始的な機能を制御する部位も頭蓋骨の中だからだ。アン・ブリンが斬首後も話そうとしたことを信じたいのは人情かも知れないが、この話はやはり眉唾ものだ。

(翻訳:村井裕美)

Adam Taylor, Director of the Clinical Anatomy Learning Centre and Senior Lecturer, Lancaster University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


201904300507cover-200.jpg

※4月30日/5月7日号(4月23日発売)は「世界が尊敬する日本人100人」特集。お笑い芸人からノーベル賞学者まで、誰もが知るスターから知られざる「その道の達人」まで――。文化と言葉の壁を越えて輝く天才・異才・奇才100人を取り上げる特集を、10年ぶりに組みました。渡辺直美、梅原大吾、伊藤比呂美、川島良彰、若宮正子、イチロー、蒼井そら、石上純也、野沢雅子、藤田嗣治......。いま注目すべき100人を選んでいます。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=反発、アマゾンの見通し好感 WBDが

ビジネス

米FRBタカ派幹部、利下げに異議 FRB内の慎重論

ワールド

カナダはヘビー級国家、オンタリオ州首相 ブルージェ

ビジネス

NY外為市場=ドル/円小動き、日米の金融政策にらみ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 5
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 6
    必要な証拠の95%を確保していたのに...中国のスパイ…
  • 7
    海に響き渡る轟音...「5000頭のアレ」が一斉に大移動…
  • 8
    【クイズ】12名が死亡...世界で「最も死者数が多い」…
  • 9
    【ロシア】本当に「時代遅れの兵器」か?「冷戦の亡…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 7
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 10
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 6
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 7
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中